10,201 STILL ALIVE

「これ以上使えるお金がない。」そういう話になったときに「切実だね。」と言われたりする。でも、そうじゃあなくって「そうなんだね。じゃあ、またタイミングの合う時にね。」でいい。なにも「カツカツだから。」という話ではなくて「貯蓄したい」とか「買いたいものがある」とかあるし、言えないわけじゃないけど、口に出して伝えるようなことでもないってこともあるよ。

でも、どんな理由であれ「断る」ってことができるってのは、大事なことだ。断れないことは、ときに、自分をそっちのけにすることにもなるから。

何か飲み会をするときに「あいつはあんまり顔を出さない。」と揶揄する言葉があるけれど、それは「飲み会に参加したいと思える頻度に差がある」という話だから「ま、来れるときに来いよ。」でいい。

ぼくはもともとそんなに「飲み会行きたい」わけじゃないからね。飲み会だとか、ご飯だとかは、できるだけ断るようにしてるけど、毎週のように誘われるとなかなか断るのもしんどい。

自分だけじゃあご飯作らないけど、自分でご飯作りたいときだってあるし、自分だけで食べたいって時もある。

あいつ付き合い悪いな。あれにはお金使うくせに、俺らとの飲み会には使えるお金ないらしいぞ。そういうことを「評価せず」「受け入れ合うこと」ができたらいいなと思ったり。

家でご飯食べてれば、それで十分。むしろゆっくり体を休ませて、本でも読んで1日を終えたい。ぼくはボロボロの服でもいいし、豪勢な赤字覚悟のパーティーは求めてない。ただ、家で過ごせられたらそれで十分なのよ。

資本を武器に、事をなす。大きくとも、小さくとも、やってることは同じ。より資本の大きな渦に巻き取られてゆく。働いてきた分だけもってる場合もあるし、資本のあるところに生まれてきた場合もある。どちらにせよ、大きな土台があるから、動ける。

今のぼくにはまだ、そういうものがない。ないと思うからないのだ。そういうことではなく、事実として「ない。」のである。だから「分不相応」な話なのだ、そもそもが。

だから大きく手を振って、家でしっぽりご飯食べてるのが、今の自分には合ってるね。耐える時間が、ぼくには必要なのさ。どうせひとりだしね。9月の楽しみを今使い果たすのは、やっぱりおかしいよ。今はぐっとただ淡々と生きてゆく。

一見楽しそうな薬物とは、一旦距離をおいていこう。

そういうわけで、

今日も素敵な1日をー。