10,222 STILL ALIVE

みんなが喜ぶことってなんだろう。今日はそんなことを思った。MEM.はよく「コーヒー屋です」と紹介していただく。でもぼくは「喫茶です、」という。コーヒー屋ですと紹介していただくのは「もっと珈琲に力を入れてほしいから。」と思っていただいているからなのか「こいつの珈琲を伝えたい!」と思っていただいているのかー、どちらかはわからない。それでも、ぼくはぼく自身に「珈琲屋は、不相応だよな。」と思っていたりもする。

というのも、珈琲屋と呼ばれるには、らしからぬ振る舞いをしているからだ。

珈琲屋たるもの

  • 多種多様な珈琲を取り扱っている
  • コーヒーが無茶苦茶好き
  • 農園についても詳しかったりする
  • むしろ行っちゃってる人さえいる
  • 珈琲の資格をたくさん持っていたりする
  • 珈琲の焙煎機なんかすっごく大きいので焙煎してる
  • プレミックスやらアフターミックスやらとかく独自ブレンドをもってる
  • いくつもの産地の珈琲を提供してる
  • 珈琲グッズの販売もしてる
  • ちょっと暗くてレトロ照明がいくつか光っている
  • コーヒー豆の販売をしている
  • ドリップバッグの販売もしている
  • 珈琲ギフトセットがあったり
  • カフェオレベースがあったりもする
  • 珈琲講座を開いていたり
  • 他の珈琲屋に豆を卸したりもしている
  • 珈琲に合う焼き菓子や生菓子やプリンがあったりもする
  • ペアリングの最適解を提案していたりもする
  • フレーバーホイールにあるフレーバーの提案も
  • 場所によっては白いコーヒーなんかもある
  • あらゆる珈琲についての知見がある
  • カフェオレや自家製ソーダやソフトクリームだってある
  • モーニングをやっているお店だってあるさ

ぼくができるのは

  • 友達が扱っているミャンマー産のオーガニック珈琲豆を
  • 小さな焙煎機で自家焙煎して
  • 友達がつくってる珈琲用の急須で
  • 心の師匠が採用してる抽出方法で
  • 珈琲を丁寧に入れる

そういうことくらいだ。

そこにコーヒーへの愛のような、それを表すような取り組みができているとは、到底言えない。ましてや「美味しい珈琲を淹れてます」とは、言えるはずもない。「うまいかどうかは、その人が決めるもんだ。」と至極真っ当なことを盾に、言い訳をしている自覚もある。それでも、やっぱりそうだよな。とも思う。

コンビニコーヒーが美味しい。
あの店のコーヒーが美味しい。
このコーヒーは美味しいですか?

ぼくにはよくわからない。美味しいと思った。ならわかる。こんな御託をならべ立てるぼくを「珈琲屋」とは、言えるはずもない。

今日は、みかんジュースが好評だった。それでいいよな、と思った。こういうのあったらいいかもな、って思うものを持ってった。そうしたら喜んでくれる人がたくさんいた。それでいいと思った。

でも「それでいいのか。」とも思った。だからこそ、こんなことを書き始めたんだと思う。友達のものを扱わせてもらっておいて「これがうまいかは知らん!」というのは、どうなんだ。友達のものを使わせてもらってんなら、これむっちゃ気に入ってもらえると思うから、試してみてよ!ぐらい胸はって言ったらいいじゃんかよ。そうも、思う。

「うまい!」となってくれりゃあ、友達にも胸を張れるってもんだ。頑張れよ、そう思う。でもどうも、進める気がしない。他人の考え事を整理するのは、どうやら得意らしいということが最近わかってきた。でも、自分のこととなると、うまく整理ができない。一つずつといいつつ、なかなか伸びていかない枝葉がたくさんある。珈琲については、その一つと思ってもらっていい。

ぼくは今日、どんな役を担えたろうか。

珈琲屋としては、どうだったろうか。
子どものある家族を応援したいひとりとして、どうだったろうか。
喫茶店店主としても、どうだったろうか。
いち人間としては、どうだったろうか。
いち家族としては、どうだったろうか。

こうあるべきなど、ない。しかして僕たちが「進む、進める、進もう」と思えるのは、そう歩みを進めて行けるのは「こうある、べし。」と胸に誓うからにほかならない。ぼくにとってこの胸に誓うものを信じて、進んでゆこう。

ところで今日は、家族や仲間たちと一緒にご飯会をした。ショールームの所長をしていた方の話を聞いたり、景品おみくじをしたり、とっても楽しかったなあ。ふだんは、ちょっぴりギクシャクするようなこともあるかもしれないけれど、それでも一緒に笑い合ったり、手を叩き合ったり、一緒に物事を作って、片付けて。そんな年月を過ごすことができる今が、一番尊い。生きてるだけでいい。そう思えた瞬間でもあった。

大叔母さんチエさんが亡くなったことも受けて、その思いは一層強く。

常滑の家に戻り、これを書いている。家には誰もいない。アリーの姿は、1ヶ月後にある。散らかった部屋。乾いた洗濯物。筋トレの器具に、暑すぎて脱いだTシャツ。ぼくは生きている。たくさんのものを残して、生きている。片をつけよう、一つずつ。

何かを残すために。
何も残さないために。

不器用に、生きよう。
みんなが喜んでくれたらいいね。

今日もありがとう。
今日も素敵な一日を。