今日は歌った。駱駝。
好きなフレーズは
人を好きになることも
高橋優 / 駱駝
人を嫌いになることも
絶え間のないリバーシ
挟まれて裏表
ってところ。
好きなら好き。嫌いなら嫌いって単純なもんじゃないんだ。好きになったり嫌いになったりする。それは、コイントスをするコインの裏表のように、わかっているような分かっていないような感じで、絶え間なく変わっているんだ。
やったり、やめたり。
好きになったり、好きじゃなくなったり。
変わっているんだ。
変わっていいんだ。
そうやって、ぼくらは生きてるんだな。
*パソコンだと、聴きながら読めるよ。
一昨日、坊主になった。6mm。少し早い誕生日プレゼントに姉貴からもらったバリカンで、兄貴が頭を刈ってくれた。ちょっと、刈り残しがある。実は本当は、もうちょっと綺麗に刈りたいけれど、まあ思うだけのことで、どっちでもいい。どっちでもいいくらい、嬉しい時間だった。ありがとうね。
前は、まいちゃんだったな。次は、誰に刈ってもらえるかな。ぼくの頭には、いろんな人に関わってもらおう。少しずつのスピードで。でも確かなスピードで。世の中は劇的なことばかりに目が向いていて、それはテレビの中だけでもインターネットの中だけでもなく、ほんの些細な日常の中にも存在する。そういうものに引っ張られがちだけど、等身大の速さでいい。人間の速度でいいんだ。自分の速度でいいんだ。
親と、子どもは、切っても切れない関係。でも、時に離れたりしなくちゃいけない。離れるというのは「離れる」ということだ。同じことじゃないかー、と思うだろうか。しかして、「離れる」というのは、そのままを体現しなくてはいけない。それは、とても難しいことでもある。それでも、しなくちゃいけない。
そういう関係性を、近頃よく見かける。
- この子の好きに生きてほしい。
- 自立してほしい。
そういいながら、言葉を尽くしたり連れ添ったりするのは、本当に難しい話だけれど、そのこととは反対へと動いているような気もする。「かわいい子には旅をさせよー。」という言葉は、かわいいからこそ守りたいし、旅などという危険なことはさせられないが、あえて、その選択をすべきである。その教訓が込められている。「させよー。」という語尾に、なかなかできない選択であることと、それでいて向き合わなくてはいけないものだ、という熱量を感じる。
自分で考え、選択し、間違い、それでも前を向いて、生きていく。
ぼくは今、家の中を整理することに勤しんでいる。8月はお休みだけれど1ヶ月かけて自分の内側と外側を整理していきたい。自分の等身大で、あらゆる他者の介入から離れて、観察する。そういう1ヶ月にしたいなと、思ってる。
いかに、自分を孤独にさせるか。向き合うか。強強なメッセージに聞こえるかもしれないけれど、とっても大事な生き方の話。
それにしても布団の圧縮袋ってすごいな。
一つずつ整理ができてる。一つずつ一つずつ。
そういうわけで
今日も素敵な1日をー。