2022516 Mon

どうも、izumikunです。

目を覚ました。スマホを手に取って時間を確認する。なんで?なんで時間なんて確認してるんだろうと書きながら思うけど、目を覚ますと、そうするようにできてる。4時半。最近はこの時間帯に起きることが多い。そして、スマホを伏せて、目を瞑る。

部屋には電気がついていて、煌々としている。夜、僕一人が眠る部屋をただ照らし続けていたようだ。こういうこともよくある。電気はつけっぱなしで寝てしまうことが多い。メガネもかけっぱなしで寝ることが多い。おかげで1年に何度も眼鏡のツルをおったこともある。家族からは「予備をちゃんと持っておいた方がいいよ。」とか「新しいの買いなさい」と言われるけど、そういう話じゃないのだ。新しくやってきたものが2週間もするとツルと本体が別れてしまうのである。

寝て起きたら、そうなっているのだから、もうどうしようもない。無意識の自分をどう説得しろというのだ。そういうわけで、なんとかして瞬間接着剤でくっつけた。今使っているのは、そういうメガネだ。おかげで、折りたためなくなっちゃったけど、メガネをかけたまま寝ても壊れることがない。接着剤、様様である。

そしてまた目を覚ます。5時40分。そして目を瞑り開くと、7時手前を表示している。何度も寝ては起きてを繰り返す。これをある人は「不眠症」というのだろうか。izumikunの場合、最近なんか起きちゃうんだよね。で、おしまいだ。だから辛いとまでは思わない。ただ、そうであるということを確かめるだけでいいのだ。眠いなら眠いなりに日中を過ごせばいい。体がなければ生きられない人間が、体の不調に不満をもらして心を汚す必要なんてどこにもない。体が訴えてるものを心で捉えて、それに従えば、それでいいと、ぼくは思う。そういう朝を最近は過ごしている。

結局、8時に起きた。同居人のHさんも起きているようだ。一緒にお茶をしながら、大学生や友達について話をした。今日1日、どんなことをするのかをお互いに話したりもした。よくあるIZUMI=SOでの光景だ。自分がその日1日何をしようが勝手だ。勝手にしたらいい。ただ、自分がどんなことをするのか、なんのブロックも壁もなく話し合える友達がそばにいるのは、なんと心強いことかと思う。そして、相手にとってもそうであったら嬉しい。これは期待ではなく、願いだ。期待には応えてもらわなければいけない理由を伴うけれど、願いにはそれがない。ただ願うだけだ。そうであったらいいな。これは期待ではなく、願いなのだ。そうでなくても、なんら問題はなく、それはそれでいいのだ。そういう友達と過ごせる朝は、幸せ以外のなんでもない。

もらいものの551の肉饅を食べながら、縁側で過ごす。食べ終わった後に素直に思ったので「あー腹へった!」と言ったら「おじいちゃん、さっきもご飯食べたでしょ。覚えてないの?」と、ぼくは認知機能が低下したおじいちゃんのごとく、食べたことすら忘れていたらしい。だけど、そのくらいにお腹は空いている。「izumikunって大食家だねえ、昨日も蕎麦食べた後に「お腹すいた」って言ってたもんね。」そうなのだ。僕は昔からよく食べる。大学の食堂でオードブルが出てきたら、最後の最後まで食べていた。たくさん食べれたからじゃない。残すことが嫌だったのだ。牛丼だって、2杯は食べれる(ゆっくり目ならね)。だからどうということじゃないけど、この小さい体で世界を歩くには、エネルギーを使うのである。あらゆる圧力からこの体を守るには、食べることが最重要だ。ただ、そこにかける金銭的な感覚が乏しいため、もらいものを有り難くいただいて、生きている。おかげさまで、IZUMI=SOに来てからの1ヶ月半ないし2ヶ月ほどは買い物をしていない。有難いこと、この上ない。本当にみんなありがとう。

結局、肉まんを2つ頬張った朝食を終えて、出発だ。毎週水曜出店のTONARI HOUSE(名古屋)のコーヒーを焙煎のためだ。大尊敬しているKさんが朝起きて焙煎をしていた映像がフラッシュバックする。その憧れに自分をできるだけぴったりになるように重ねていく。今は、そういう感覚で焙煎をしている。もちろん、自分にしか出せない焙煎があるから、憧れに重ねていく必要などないのかもしれない。でも僕にとって、Kさんの動きは基本なのである。ひとつの軸としてあるのである。それに近づいていくこの過程は、まぎれもない僕だけの道なのだ。だから決して何者かになろうとか。「あの人になりたい」とは思っていない。ただ、その憧れの背中を見て、自分を育てている、その最中にあると自覚しながら。これでいいのだ。

この建物の前任者が使っていた食器がたくさんある。赤くてところどころ剥げているコーヒーカップ。お付け合わせや大福を載せていたお皿、かき氷専用の器。いろんな食器がある。ここに、新しい仲間が入ってくるから、そのためのスペースを作った。カップを置いて、その隣に逆さにしたカップを置く。カップはテーブルにつく面から口をつける面にかけて広がっているから、交互に置くことによって、いい塩梅で、互いに寄り添って収納することができる。おかげで十分なスペースを確保できた。よし。とはいえ、新しいものがきたら、このコーヒーカップたちの出番はないのだ。そこに少し引目を感じている。一番初めにここで喫茶を始めた大家のSさんが自分で作ったカップなのだ。はじめはそれを使うと決めていたけれど、やはり「急須でコーヒーを淹れる」というイメージを現実に引き戻したくなった。ずっと願っていた。口に出していたら、だんだんとそうなってきた。

13:50 時間だ。MEM.として新しく事業をはじめていくにあたって、大切なことがある。設備を充実させていくことだ。友達がやっていた喫茶の居抜きだからほとんどの設備は揃ってる。ただ、まだまだ整えなきゃいけないことがたくさんある。そんな気がしてる。先日、常滑市商工会議所に伺ったところ、持続化補助金なるものがあると教えてもらった。コロナの影響によって企業が持続するようにと国からの補助金が出ているのだ。そこには一般枠というものがあったり、創業枠があったりする。MEM.は新規事業だから創業枠で補助金をもらってより魅力的な店舗にしたいと考えてる。というか、商工会議所の方から、そういう提案があった。これは有難い。企業をしていたり、経営をしている方とお話しする機会があるけれど、経営者の役割なにか。それは「お客さんの幸せを作っていくのはもちろんだけれど、それを続けていくために、仕事をつくり、明日をつくること。そのために、お金をつくることだ」ということ。こういうことをよく聞く。izumikunはMEM.をはじめることをみんなに話すと「izumikunは経営者だからね」と言われるようになった。実感はなかったのだけれど、確かにそうだ。固定費もかかってくるし、常にお客さんと向き合っていかなきゃいけない立場である以上、僕は経営者だ。つまり、補助金というと「ずるい感じ」を思う人もいるかもしれないけれど、そうじゃない。明日をつくるために、必要なこととして取り組んでいく必要があるのだ。

創業枠の対象となるには条件がある。そのために創業相談なるものがあり、コンサルタントをしている人に無料相談を3ヶ月にわたって3回以上取り組むこと。今日は、その第1回だった。マスクをしているとなにを喋っているか聞き取れないこともあったけれど、担当のWさんはざっくりとこんなアドバイスをしてくれた。

  • 毎日インスタグラムを投稿するといいよ。
  • 1000社以上見てるけど、やってるのは2人だけだな。
  • ホームページを作るといいよ。
  • Google mapを充実させるといいよ。
  • 事業の失敗のほとんどは、プロモーション不足だ。
  • 美味しいものを作れば繁盛するわけじゃないよ。
  • 目標を立ててる店舗は立ててない店舗の3倍の行動力があるんだよ。
  • 目標を立てた方がいいよ。シートあげる。
  • インスタ映えがやっぱり今大事だよ。
  • 感謝をすることは忘れちゃダメだからね。
  • 家賃は全体の5〜7%だからね。

やりとりをしていく中で、自分が信じているものが間違ってないことが分かった。ただそれが、実感をともなって学んだことではないことも分かって、その実践をこれからしていくんだな。理解できないこと、素直にうんといえないこともあった。だから、きっとこれから難しいこともあるかもしれないなと思った。それと同時に、まだ始まってもいないMEM.のために、商工会の担当のNさん、コンサル担当のWさん、常滑焼を作ってくださるWさん、店舗を引き継いでくれたYさん、大家さんのSさん、看板を作ってくれてるMさん、いろんなアドバイスをくれるKさん、お菓子を卸してくれるBさん、いくよー!と言ってくれる本当にたくさんの友達がいることにも気づいた。ひとりで動いているし、これから出てくる出費やリスクを背負うのも自分1人だ。だからこそ、孤独に潰れそうになる瞬間もある。目の前に立ちはだかる困難に挫けそうになる瞬間もある。でも、一人じゃない。そういうことを本当に大切に胸においておきたい。そう思ったよ。7月の面談も予約して、商工会議所をあとにした。

MEM.に戻る前に、食と器の出会い事業について市に聞きに行った。新しい市役所に初めて入って、驚いた。綺麗すぎる。ただでさえ保証されている役場の人をさらに快適にするとは、やっぱり世の中はあんまり平等じゃないなと思った。世界の不思議を見た。さっぱりどこになにがあるかわからなかったので、案内の方に「食と器の出会い事業について知りたいんだけれど。」すると「観光戦略課ですね、突き当たって左に進んだ一番奥になります」というわけで、行ってみた。Mさんがいた。瀧田家でハッピーカモン常滑のPR写真を取りに来たときに会った人だ。丁寧に教えてくれた。どうやら食と器の出会い事業の予算は終わってしまったらしい。ただ、5月25日に新しく予算組みをするということで、予算が組み終わったらまたメールします!とのことだった。作家さんにはもう話がつけてあったので「こりゃまいった!」と思ったけど、救われた気分だった。こうやってギリギリを生きてる。

すぐに作家さんにも連絡をとって、25日にすぐに申請できるように準備しておこうと、互いに了解した。

こうしてやっとMEM.に戻った。約束があるためだ。現代のトラさんと仲間内からは囁かれ始めてるAさんに、MEM.の絵を依頼するためだ。輪郭のない表現をするAさんのキャンバス作品は、MEM.という概念を表現するのに、とても合っていると思った。何より、絵のない部屋は寂しいと思った。同時に、花のない店にも寂しさを感じてて、Aさんの絵はそこに置くのにぴったりだと思ったのだ。2週間ほど北海道に行くというので、絵の完成はそれ以降になるということになった。非常に楽しみだ。フェリーで行くというから、とりあえず常滑駅まで送った。いってらっしゃい。

またMEM.に戻ると、友達から連絡があった。Nさんだ。Nさんは今、工房を作っていて、izumikunもその工房づくりのお手伝いに、ときどき顔を出したりもしてる。1年にも満たないけれど、とても近い位置で頼もしい仲間のひとりだ。「今から行ってもいい?」というので「どうぞ、待ってるね」と答えた。(こうやって書いてる時、こういうニュアンスのことを言ったんだな。と、捉えて欲しい。)初めてお店に来た。そして、ゆったりと中央の席に座って、ぼくは流れでカウンターの中に入って、彼女を向き合った。そして、小さく、語りあった。かるく1時間半くらいは話をした。途中、コーヒーを淹れたりなんかもした。話をしている中で、人生は、どういうわけか取り戻せない道のようで、自分がどうしてここにいるかなんて説明ができないほど、どうしようもないもんだなと改めて思った。izumikun自身、MEM.が6月3日から始めるけど、家賃がこの世でもっとも嫌いな自分が、家賃を支払いながら自分のお店(これ以上、動けない場所)に留まって喫茶をやろうなんてのは全然考えてもなかった。ましてや、1年前の5月は、ユニクロのアルバイトを辞めたばかりのニート。それから数ヶ月はDIYをするニートで居候。それからはトントンと今につながってきた。これを「よかったね」という人は多いけど、これがよかったかどうかは、もうちょっと先に分かることだと思っていて、これでいいのかなとか、もう戻れないみたいなことを感じる。気づいたらここにいる。人生ってそういうもんだなと、思った。