結論:これからは「満たされる全体を設計する」が大事な気がするので、シフトチェンジです。
理由:理由は3つあります。
- ぼくたちは頑張りすぎている
- 人は助け合える生き物である
- 時間は、命そのものです
ざっくり解説します。
ぼくたちは頑張りすぎている。
僕たちの社会は「成熟している」と言われています。
社会の形もう「いくとこまでいったよね。」ということです。
なのに、ぼくたちの働く時間は、長いままです。
パソコンがあれば簡単に書類は作れそうなのに、書類を作るのに1日かかることもしばしば。
ここだけの話ですが、ぼくたちは「ずっと」働いています。
それなのに、仕事終わりに「副業」までしようとしています。
その理由は、自分で「できることを増やす」と収入が増え、生活が安定すると思っているからです。
これは事実だと思う。
週4日の喫茶+週2日の仕事+イレギュラーな仕事/休み
これで、生活における選択肢は増えました。
これは「労働時間を増やす」と、簡単に実現できます。
でもぼくの場合は、これで体調を崩しました。
また、時間を労働に充てれば、人生の時間はそれだけなくなることも承知しておく必要があります。
今新たに、他の道を探す必要があると、ぼくは考えています。
人は助け合える生き物である。
「人は助け合える生き物である。」
このことは重々承知していました。
実際の生活でも感じることは多いです。
- 参加費を支払うイベントで、持ち込みOKだと持ち込んじゃう
- 友達が体調悪いとき、差し入れをする
むしろ、人はまだ困っていないのに、未来を予知までして、手を差し伸べることもあります。
人間は誰でも、未来予知能力を発揮しながら生きてるのかも。
(これを日本では、”察する”というそうです。)
でも、いざ自分のこととなると「自分でやる。」と頑固になりがちです。
自分がやれば、以下の効果があるから。
- お金がかからない
- できることが増える
- 他人に迷惑をかけなくて済む
しかし、自分でやることで失うものもあります。
- 時間
- つながり
この2つです。
人に助けてもらうことは、これを取り戻すことなんじゃないかと思います。
しかし
- お金はかかる
- できることが増えにくくなる
- 他人に迷惑がかかる
このあたりの心配事は大きくなります。
それでも、時間やつながりに変えられるものではない。
時間は有限だからです。
時間は、命そのものです。
今回は「当たり前のこと」しか書いていません。
しかし、ぼくたち日本人はそれを「ないがしろ」にする傾向にあります。
当たり前は、当たり前に「現実化」されている必要があります。
ぼくたちはどこか、目に見えない何かに抑圧されている感覚がある。
当たり前のことを当たり前にできない「社会」の「風潮」がある。
- 好きなものを好きなように着られない。
- 太っていたらいけない、痩せなくちゃ。
- なるべく落ち着いた色合いを着ること。
- 派手なものは、目立つからだめ。
- ガイドはリアクションせずに真面目に聞こう。
- 丁寧な対応をしなければならない。
- 人に合わせなくてはいけない。
- 懸命に長時間働かなくてはいけない。
- 商品は完璧にパッケージしなくてはいけない。
- クレジットカードの手数料は自己負担しなくちゃいけない。
- 連続した休みは、取れないものだ。
- 英語はかっこいい。日本語はダサい。
あくまでぼくの所感なので、みんなに当てはまるものじゃないかもしれません。
ただ、少なくともぼくは感じています。
言葉遊びではなく、これが風潮であるなら、きっと潮目は変わる。
それを待てなければ、自分で変えることができる。
それが、この世界の当たり前だから。
時間は、命そのものです。
世界の美しい景色を見るのも、地球の呼吸を感じるのも、家の中で引きこもるのも、ノンアクティブで怠惰に過ごすのも、長時間働くのも、人間的な営みをするのも、すべて「時間」から生まれています。
ぼくたちは「時間を使うこと」で、何かを得ることができる。
しかし、得ないこともできる。
自分はどちらへ向かうか。
常に、この境にいるのです。
「満たされる全体を設計する」へ。
ぼくは、お店のことを頑張りすぎていました。
頑張りすぎるあまりに、やることはたくさん。
でも、もっと全体として考えて良かった。
お店は一人で回すものだと思っていた。
少なくとも、人を雇えないうちは。
でも、ちょっと旅して気づきました。
「お店に訪ねてくるすべての人」が満たされるのを望むなら、
「お店に訪ねてくるすべての人」で作る店が心地よいと。
端的に言えば、
- 自分でやるべきことを減らし
- 訪ねてくる人に手伝ってもらおう
- そういう当たり前を生きよう。
そういうことです。
全体としての幸せを目指すなら、全体で働きかけが巡ること。
一方通行はおしまいです。
MEM.が人と文化の交差店だとすれば、ぼくが懸命にサービスをすることに、大した価値もありませんから。
「想いある行為」が行き交うことが大事なのです。
おわり:【2023年どうする】どうお店に反映させるか。
具体策の提案です。
以下のものは、お客さん自身で取れるようにします。
- スプーン
- フォーク
- 箸
- マドラー
- ナプキン
- ミルク
- シロップ
- シュガー
以下のものは、お客さん自身で返却できるようにします。
- トレイ
- カトラリー
- お皿
- ごみ
※お客さん向きに「ゴミ箱」も設置します。お皿やカトラリーごとに仕分けする
以下のものの販売を、検討中。
- 缶ドリンク
- 瓶ドリンク
- クッキー類
以下のことを検討中。
- テイクアウト
- サンドイッチ常時販売
- 番号で呼びかける方式
- 外席の整備
これまで通りイベントの企画もしますが、まずは、自分とお客さんで全体が心地よくまわる形を探っていこうと思います。
それでは今日も素敵な1日を🌿