あいまいと行動の、塩梅。

どうも、izumikunです。

あんまり言葉にできていないけど書き始めています。(そのくらい、面白い発見なんだなと思っています。)

観光案内のお仕事をしていたり、フリーターという生き方をしていると「何かをやりたいことがある人」と出会うことが多いです。例えば、地球一周をしたいとか、ゲストハウスを立てたいとか、地域を盛り上げたいとか、自然農法で生きていきたいとか(←これ、全部過去のizumikunです)、そういう夢をもって生きている人がいたりします。

そういう夢を語るとき(あくまで、語るときの話)、あいまいに話す人と具体的に話せる人がいて、その中でも、

  • あいまいなのに聞き手に想いが届く人
  • あいまいだから聞き手に想いが届かない人
  • 具体的だから聞き手に想いが届く人
  • 具体的なのに聞き手に想いが届かない人

がいたりします。

izumikunはずっと「あいまいだから聞き手に想いが届かない人」でした。でも、世の中にはあいまいなのに聞き手に想いが届く人がいるんです。

ぼくの友達には、そういう人が何人かいるんだけど、えてして「あいまいだから聞き手に想いが届かない人」もいます。この違いってなんだろうって思ったんだけど、

やっぱ、行動してるかどうか。もっというと「行動をした上で、周りから見えている状態になっているか」だなと思いました。

実際に見えている必要はないんです。例えば、公共のトイレを誰の支持もなく一所懸命に掃除していたとして、その行為をしている場面を見てもらう必要はない。ただ、私はやっていますよってただただ話す。(この時、なんらかのリアクション = 偉いね、すごいね、ありがとうなどの反応を期待しないこと)そうすると、聞いた人がそのトイレに行った時に「あの人のおかげでこんなに綺麗なんだね」ってなりますよね。

これが「行動をした上で、周りから見えている状態」です。実際に見えているわけではないけど、見えるように「周囲に話す」という手段で、それを実現させているってわけです。その根拠にはいつも「行動」がある。

その塩梅をちゃんと意識しておかないと(それが意識的か、無意識的かはどちらでもいい)あいまいな語りは「寄せ付けないカッコよさ」というより、むしろ逆に働く。「この人は何もしない人だ」となりかねない。それでは、つまらない、面白くないよ。

これは、具体的なのに伝わらない人にとっても同じ。むちゃくちゃ具体的なのに「あなた本当にそれを実現できるの?」っていう疑問をもたれているのは、言っていることは正しいのに行動そのものがあいまいだから。つまり、行動が伴っていないから届かない。

無駄な行動はしないようにって効率化のなみが押し寄せてるけど、効率にするためにはむしろ、時に無駄な行動をも辞さない気持ちで「とにかくしつこく動く」っていうのが大切なんだと思う。

と、ぼくの友達と話をしてて思ったのでシェアです。

月並みですが、行動って大事だなーって思ったって話です。

あいまいと行動の、塩梅。大事にしていきたいね。
では、またね。