欠けているもののせいにしないで。

どうも、izumikunです。

タイトルのこの言葉が、ぼくの兄の悲鳴である。

昨年、ぼくの兄は脳梗塞になり、2度倒れました。そして、右にある高次脳の一部を欠損したことで、彼は高次脳機能障害という「一面」をもつようになり、あわせて、左半身不随という「一面」ももつようになりました。

くれぐれも彼は、高次脳機能障害ではないし、半身不随ではありません。そう言った一面こそあれ、彼は彼であり、ひとりの人格者であるということは、彼の弟として強くお伝えしておきたいと思います。

しかし、こうした冷静な目というか、ひとつ俯瞰した目で彼を見ることは、なかなかどうして難しいことであることは言うまでもありません。現実的には「一面」どころか「生活全般に不都合が生まれてくる」からです。彼自身にも、そして、その周囲にもです。

ですから、彼を熱心に支える母の心中がとても辛いものであるのは想像に難くありません。彼がなんの不自由もなくバスに乗っていた映像を、なんの不都合もなく子どもと遊んでいた映像を、彼女は何度となく思い出してるはずだから。

だからどうしても、手を差し伸べたくなる。支えてしまいたくなる。助けてしまいたくなる。そうしているうちに「この子は”できない”んだから、私がいなくちゃ」となってゆく。一方で、どれだけ支えても報われて行かない(例えば、仕事を休まなきゃいけなくて、分かりやすく給料が減っているにも関わらず、支えることによって得られる幸福度が小さい)から『いつまでも私がいるわけじゃないからね』と厳しくあたってしまうこともある。

※息子を支える母の幸福度が低いのは、薄情な人だからではありません。薄情ならそもそも支えると言う選択さえ取らないかもしれないでしょ?そうではなく、息子を支えても、支えられている息子は「俺は障害者だから。」とか「できないんだから、しょうがないじゃないか」とか「何度も言わないでよ、うるさいな」とか思っちゃうし、どうしようもなく口にしちゃうんです。これらの言葉は誰が聞いてるか。それは、一番近くで支えている母なんです。どんな慈善家でも、報われて行かないことに諦めだったり、疲れも出てくるってことも考えうるんじゃないかな。

彼をより近くで支えている人ほど、彼のために使っている時間が多くて感謝されてもいいくらいなのに、彼の一番根っこにある悲しみとか寂しさとか苦しさから生まれる言葉を受けとることになる。だから、嫌になる。でも支えなきゃって義務感もある。だから、うまくできない様子をみて「ここで声をかけたら怪我しない」って思って、相手が気づく前に声をかけたりする。

そうすると、彼は気づいてもないうちから不意に言われたことを処理しきれないことが多くなったり、ちょうど今考えていたことを実行する前に言われたりすると、イライラしてくる。自分一人じゃ何も決められないと思われているように思えて、敬意を持ってもらえていない気がして、人格者として認めてもらえていないように思えて、悲しくなる。その悲しみや寂しさが、怒りとなって現れる。

そういう現実から逃避するために「俺、障害者だから」とせせら笑ったりする。

それを見た母は「あなたは、高次脳機能障害があるから」「視野の無視があるから」「片麻痺だから」と、できないことの理由を「障害」のせいにしたりする。原因ー結果論で生きてきた世代の典型的な理屈だから、これはもう仕方ない。仕方ないんだけど、彼としては「障害のせいにしないでほしい」と思うし伝える。でも、日常的に冗談でせせら笑っている兄を見ている母の心境は大変なもので「だったら、あなたも障害のせいにするのやめてね」と喧嘩になったり。

すべて出発点は、悲しみとか寂しさからきているものだと思う。

兄は、できる自分ができたことが、できなくなったことが悲しいのかもしれない。できない自分に嫌気が差してしまっているのかもしれない。母は、できていた息子ができなくなっている現実を受け止め切れないのかもしれない。悲しいのかもしれない。

お互いに、悲しみが根底にあると、izumikunは思う。でも、互いにはどうしても打ち明けられない。そんなことをすれば、気を使わせまいと「頼ること」ができなくなることを恐れて、なかなか気持ちを打ち明けられなかったりする。

izumikun自身は、そういうぐるぐるしたものをよく知ってる。izumikun自身が、それらを打ち明けられないままずっと生きてきたから。

兄が欠けているもののせいにしないで。というのはぼくにとっては全くの正論。これは、欠けている者の主張である。izumikunは、平均的な人たちから見ても身長が低かったり、体力がなかったり、力がなかったりして、多くの人は「こいつは弱いから助けてやらにゃ」とあの手この手でぼくを支えてくれました。

これはね、幸せなことなんです。幸せなことなんですけどね、でもね、弱い人が挑戦する機会を奪われていったら、やっぱり弱いままなんですよ。ゲームの序盤で弱い敵を倒さずして強くなれる主人公っていないです。はじめは誰しもが弱い敵を倒すっていう段階を経て強くなっていくんだから。人生において、そういうものをかたっぱしから奪われていった人生って、なかなか大変ですよ。強くなりたくても、強くなれないんだから。しかも、それを善意でやってくれるんだからね。断れないわけです。断れば、こっちが薄情になっちゃうから。

彼にとって今、そういう状況なんじゃないかって思う。

もっと外に出たい。もっと動けるようになりたい。それなら、動くしかないし、外に出るしかないって思って行こうとすると、遮られたり、止められたりする。チャックが開いていて、空いていることに気づいてはいないけれど、空いていたら閉めようと練習しているし開いているかどうか確認しようっていう気持ちも準備してるタイミングで「開いてるよ」って言われたらイライラする。言わないでよっ!自分で気づいてやりたいんだよ!って思うから。でもそのことは言えない。そうすると薄情に思われちゃうし「それなら、あとは全部自分でやれば!」ってなりかねない。そのくらい、支えてもらっている後ろめたさは感じてる。フラストレーションはどんどん溜まる。

彼の気持ちはよくわかる。izumikun自身、敵を倒す練習をずっとしてこなかった。でも、26歳になるまでになんとか敵の倒し方を少しずつ学ぶことができた。とは言えまだ26歳とも言える。でも、兄は違う。もう40歳も近い。その状況で、半身は不随となり、機能障害という一面を抱え、視野の狭窄もある。見えているところだけが世界だから、自分はなんの問題もないと思いがちだけど「見えていないところもある」「認識できていないこともある」という理解はしているから『本当に大丈夫か?』と常に彼の中に自問自答があるはずである。そういう彼なりの焦りもある。

ぼくからこの状況でできることがあるとすれば、

  • 空いてる日だったら一緒に過ごす(行動で示す)
  • 彼の成長機会を奪わない(先回りしない)

ってことです。この2つ目は特に、ぼくが奪われてきたものだから、余計にそう思う。レベルアップできるチャンスが毎日ある。そこにスッと攻略本をおいておくことは、彼にとってなんの助けにもならない。成長機会を奪う行動は、先回りして教えちゃったり、気づいていないことを無理やり言葉で伝えちゃうことだったり、そういう小さいことだったりする。

彼と母の関係は続いていくだろうけど、izumikunはizumikunのまま、関わって行こうと思います。母にはここに書いたことを端的に伝えたけど、行動で示していくことが大事だと思うから、時間を見つけては一緒に過ごしていきます。

というわけで「欠けているもののせいにしないで」という兄の悲鳴を、izumikunはよくよく理解できるし、周囲はその悲鳴をよく聞いて、本人のレベルアップの邪魔をしたら本人のためにならないよね。先回りして成長機会を奪うことなく、ちょっと無視するくらいでいたいものだね。って話でした。

それでは、またね。