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一昨日、兄が倒れた | ジムニーの後部座席をはずして見つけたもの | 自分の口から出したいもの

2021年10月11日(日)

imawoによくいるメンバー(といっても、オーナー本人と工務店さんと、いずみだけだけど笑)で、スケジュールのシェアをしてる。今月の予定で一番目立つのは「い)不在」という予定。紫色で1週間以上ずっと線が伸びてる。imawoが完成に近づいてきているこの局面で、何故だかimawoにいない時間が増えてゆく。この場所を離れるときが、そう遠くないということだろうか。何か大きなものに身を任せて生きていると、自分の意図せずとも必然的に、あるべき方向へと自分が運ばれているような感覚になることがある。今は、どうやらそんな感じである。

一昨日、兄が倒れた

一昨日、兄が倒れた。昨日は「昨日、兄が倒れた」という文章を書こうとしたけれど、あまりの自分の呆然さに意識が遠のいて、気づけば朝を迎えていた。今夏、熱中症をきっかけとして発症した脳梗塞によって兄は倒れ、手術をした。人とのご縁に大変恵まれて、素晴らしい医師や看護師に出会い、術後は良好でした。右脳へのダメージが大きく、左半身は動かしにくい状態で左広角は少し下がっていたりするけれど、それほど重症ということもなく歩行も座位も安定して、大好きなポケモンカードをやりたくてたまらず、カードを見て漁っていた。指先も、その程度には動かせるほど。生活に大きな支障もなく、会社から「もう少し休んでいいぞ」の言葉もあったけれど、仕事が大好きな兄はそのまま仕事に復帰した。しかし医師からは「回復力すごいですね。ただ、次同じことが起これば、この程度の麻痺ではすまないと思われます」と、伝えられた。

それから、2ヶ月。

ご飯に行ったその店のトイレで、彼は意識を失った。左広角はより力を失い、ICUで寝ている。脳出血だった。もやもや病という血管が細くなってしまっている状態の兄の脳には、小さなコブができていて、それが破裂したのが原因なのだという。レントゲンを見ると、その近くには別のコブのようなものが見え、それが引き金ではないかと思われたけれど、それは前回の手術痕で「とてもきれいにやってあります」と今回の手術担当医からは聞いた。

兄は、歩けるだろうか。
兄は、見えるのだろうか。
兄は、ポケカができるだろうか。
兄は、また笑えるだろうか。

家族で一番笑うひとだ。
家族で一番、喜ばすひとだ。

兄は、また適当な歌詞で歌うだろうか。

明日、兄との面会がある。
早く会いたい。

ジムニーの後部座席をはずして見つけたもの

ぼくは、時計を分解して「目の前のものを観察して、手を加えてみる」ような子どもではなかった。どちらかと言えば、どうやって分解するんだろうかという「解説本」を探すような子どもだった。ゲームを攻略していくというよりは「攻略本を買うかどうかに悩む」ようで、本屋をウロウロすることなく1時間以上、攻略本の前でほんのビニールを恨んだものである。むしろ、この攻略本さえあれば、ゲームが先に進められるのにと思っていた。

ゲームを進めていく楽しさを昔から感じられなかったのかもしれない。進めていく楽しさよりも「ゲームを進展させること、そのもの」だけにやりがいを感じるような感覚。

だから「生きること」の尊さとか有り難さを感じつつも、その中に楽しさを作ろうという気持ちにシフトできずにいた。生きているだけで幸せなのだから、他に何を求めるというのか。そんな少し冷めたような人だ。ぼくの周りの人は、生きているだけで素晴らしいのだから「楽しまなくっちゃ!」というひとが多い。いずみはどちらかと言えば、それとは逆を生きているかもしれない。ただ、今を生きて、明日につなぐことだけが生きがいのような気持ちでいるのかもしれない。

でもそれでは、人生つまんねえなあと思った。いや、「楽しまなくっちゃ」とか「攻略しようぜ」というような、勢いみたいなものがなきゃ新しいことも始められないような感じがする。

ジムニーを手に入れてから「キッチンカーをやりたい」「これを出店の車にする」という想いが日に日に強くなってきていた。でも、実際にするためには法律上どうしなきゃいけないだとか、申請がどうだとかそういうことばかりが目に付く。実際にどのような改造を加えるか、どのようなDIYをするか、どんな雰囲気の車を作りたいのか。そういうことはよくよく思えば、考えてすらいなかった気がするし、そのために手を動かすということを避けてきたかのようにも思う。

攻略本のない道に、進みたい。

その思いを、ぼくはジムニーの後部座席を外して見つけたのである。すべて自分の手で変えていくことはできるのである。生きているだけで素晴らしいのだから、自分の人生をもっと面白く変えていっていいのだ。誰かのために動くというより、自分がやりたいと思うこと、やってみたいと思うこと、そのほんの小さなことでもいいから手を動かして考えてやってみるということが一番大事なのだ。それがその後何の役にも立たなくて「無駄」だと思えるような時間や労力こそ、新しい1日を作っていく大切なこと。

目的などなくていいのかもしれない。いや、あった方がいいのかもしれない。ただ一つ大事だと言えるのは、目的よりも何よりも、その向こうの大きな人生のゴールに「人生を楽しんで生きて死ぬ」がある。この一瞬一瞬に楽しめない生き方をしたい。楽しもう。

自分の口から出したいもの

「嫌味なことをいうよな」と自分に対して思うことがある。楽しむということよりも今を繋いでいくことの方に生きがいを感じるから「楽しもう」「楽しませよう」という気持ちが小さかった。だから、楽しかったなあ!!!っていう感想よりも、あそこのあの場面でもっとこういう言い回しをしたらよかったかなあ。とか、あのデザインもうちょっとだったなあ。とか。そういう反省というか改善というか、そういうことにしか意識が向かない自分がいる。

めっちゃいい!美味しそう!楽しい!

そういうことが自分の中で後回しにされているような感覚がある。でも本当は、そういうことをちゃんと表現できる自分でありたいのだ。口は災いのもとであり、言霊を宿す場所でもある。言葉が世界をつくるのなら、自分の口から出てくる言葉によってぼく自身が定義づけられていくはずである。

もしそうなのだとしたら、

ぼくはぼくの言葉をもっと強くしたい。
ぼくはぼくの言葉を確かなものにしたい。
ぼくはぼくの言葉を優しいものにしたい。
ぼくはぼくの言葉を喜びに溢れるものにしたい。

そうする。

どうせこの世界を生きるのなら、
楽しく自分の手で生きていきたい。

生きているうちだけでも、幸せに生きよう。

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