自分がどう思われるかで決めたことほど疲れることはない。

どうも、izumikunです。

今日も常滑にいました。自分の家から車を走らせたところに大野町という港町がある。港町には駄菓子屋だとか場所貸しだとか喫茶やなんかが点在していて、彼らが力を合わせて「月に一度だけのイベント」を開催している。今回は、そのはじめての回だった。いったいこの街のどこに、これほどまでの若者が眠っていたのか。そんなことを思うほど、普段の街並みの静けさ、ゆっくりした空気感を加速させるような若きエネルギーに溢れていた。町というのは、そこにある人の営みによって、これほどまでに空気を変え、世界を変え、新しい見え方をさせるのかと思うと、彼らのその想いや行動には畏敬の念を感じる。

かくいうizumikun自身は、友人の出店のそばにいたり、他の出展者さんを回っては色んな話を聞いていた。出店者としては、靴磨き屋、珈琲屋、多国籍雑貨、蔵出し陶器、弁当やなんかと、バラエティ豊かだ。その中でも特によく話を聞いていたのは、多国籍雑貨をあつかう学生の女子2人組である。フィリピンやポーランドやタイなど色んな地域に足を運んでは、現地の歴史を学び、各国で見つけたときめいた雑貨や、現地への支援に繋がるような雑貨を集め、日本で販売している。販売をしていると、自然と現地での話になり、それが、各国の現状を伝える機会となっている。素晴らしい活動だ。

伝統的な柄のポーチやひとつひとつ手で刺繍を施したブラウス、マトリョーシカ、スラム街のブランドシャツ、フィリピンで売られているホーローのマグ、ココナッツの実のトレイなど、色んなものがあったが、その中のひとつに小さな本があった。その本には、たくさんの手書きの文字と小さく切り取られた写真。まるで子供が、自分の「好き」をきりはりして作ったスクラップブックのような、コラージュのような、そんな本。小さな文庫本サイズの、手のひらにおさまるサイズの本。

そこには、世界各地を渡り歩きながら、目にしたものやいく前に調べたことが一つずつ丁寧に書き込まれていた。乱雑に書かれているようで纏まっていて、彼女の中では明確にひとつひとつがつながっていて、非常に楽しそうにワクワクしながら話をする。izumikunはとてもうれしくなった。

話をする中で、ポーランドの話になった。ポーランドと聞くと思い浮かぶことはなかったが、アウシュヴィッツに行ってきたという。アウシュヴィッツ強制収容所。ユダヤ人が大量に虐殺された場所の名前だ。人間が生まれてから、人間は動物に殺されるよりもずっと多く、人間の殺し合いによって死んでいる。彼らものその犠牲となった。などと簡単に言い表せれるものではないが、当時のナチスからすれば、彼らはまるで害虫。素敵な花々や環境を害す存在として、劣等、下等な人種として捉えていたという。これは、教育上、科学的に証明されていた当時であったからこそ、それを論理で覆すこともできなかった。そういう難しさがあった。

常滑にも戦争の後が残っている。しかし、戦争という切り口で、この街を語るものはいない。いつも、焼き物の発展や歴史にのみフォーカスが当たる。しかし、街並みに散見される焼き物のうちの多くに、戦時中に使われてなくなったロ号と呼ばれる道具がある。主に、火薬を保管するために作られた道具である。ぼくらは敗戦国として被害者面をしているけれど、もちろんそれゆえに被っているものは大きいけれど、僕らの国が犯してきたものを学ぶことは少ない。そうしたことに対面する機会は少ない。時に僕らは、ここに向き合わなければならないと思う。死を身近なものにするために。忌み嫌われるものでも、遠ざけられるものでもなく。身近なものに感じ、それゆえに、生を感じるために。ぼくたちは生きているということを、明確にして生きるために。

昨日と今日で、2つ、だらだらと過ごしたことがある。一つは「友達に誘われたから」という理由だけで、わざわざガソリンを燃やして車を走らせて買い出しをして友達の家でご飯を食べたこと。もちろん楽しかったに決まっている。ただ、正直疲れていたし、風も冷たくて体に響いた。これは、巡り巡って自分を壊している。楽しさは、健康な体があってこそだ。2つ目は「友達があっちに行く」というので、自分はこっちに行こうと思っていたのに「じゃあ、あっち行こうか」と歩幅を合わせたこと。何度も言うが、もちろん楽しかったに決まっている。ただ、自分の決断を信じられずに、ひとりになることで何かを失っているのではないかと言う思念に駆られて、周囲と歩幅を合わせることに時間を使ってしまう。今しかない出会い、今しか作れない人との時間は大切にすべきである。ただし、それは、自分の生を自認している時にだけ輝ける。

そして、izumikunは今、とても疲れている。それは、自分に嘘をついたからだ。周囲がどう思うかで、行動を決定したからだ。違う。本当は、どう思われていようが、自分は食べたい場所でご飯を食べ、帰りたいタイミングで帰ったらいい。コロナだからと言う理由で海外留学やワーキングホリデーをやめた人は何人も知ってる。でもOSORAの二人は、コロナが流行った頃にポーランドへ行き、アジア人だと言う理由で差別を受けた。その経験を彼女らは「良かった」と言っている。あんな経験ができたのは自分たちにとって幸運だったと。izumikunは彼女らを応援したくなった。

今日、美味しいGOLDEN SAMOSAを5つ、お手入れをしたいカバンを取りに帰るための送迎と交換でご馳走になった。コロンビアの浅入りをご馳走になった。お結びをご馳走になった。胡麻団子をご馳走になった。カレーそばをご馳走になった。ローストビーフを一切れご馳走になった。おかげさまで今日の食費はゼロである。ありがたいことこの上ない。

そのおかげで、ぼくはOSORAの二人から、ポーランドの町TORUNのヴィンテージピンバッジとフィリピンのホーローマグを買わせてもらい、お釣りで出た100円をそのまま寄付した。みんなのおかげで、支援を回すことができた。しかも、izumikunに御馳走をしてくれた人の前で、寄付をした。寄付ができるなら、自分で金を払って飯を食え。そんなことを人は思うかもしれないが、それは間違っている(いや、間違っていないんだけど、伝えたいのは事実ではない)。その事実の正しさよりも、大切にしているものを大切にして起こす行動は、理屈を超えた説得力を持つ。

今日は、そんなことを感じたよ。