こんにちは!
MEM.喫茶Tokonameの店主いずみです。
MEM.では「子育て支援としてのお弁当配達」をしています。このお弁当配達にかかる費用はすべて「全額寄付」によって賄われています。
このページでは、この活動について
- なぜ始めることになったのか
- どうしてこの仕組みなのか
- 何を目指しているのか
など、ひとつずつ書いています。
ぜひ、ご協力いただけましたら、幸いに存じます。
1.きっかけ
きっかけは、友達の実体験
子育てのリアル
手の数が足りない。
2.しくみ
支援の仕組み
なぜこの仕組みなのか(経験談)
理由① “無償”ボランティアは続かない
理由② ダーナという考え方
新卒で就職した福祉職をやめてすぐに頭を丸めた。それで何をしたかっていうとね、瞑想修行に行ったの。ヴィパッサナー瞑想っていう瞑想をしてるとこがあってね。千葉と京都にあるんだけど、京都に行った。
11日間にわたって、朝から晩まで坐る。坐るってのは、瞑想をし続けるってこと。人と目を合わせず、必要な場合を除いて、人とも話をしない。スマホもメモも財布(お金)も、一旦回収される。もちろん後でかえってくるけれど、一旦、すべてを手放す。
寝て
起きて
食べて
瞑想して
瞑想して
瞑想して
食べて
瞑想して
瞑想して
寝る
そんな11日間を過ごした。
その間、ぼくは一切のお金を支払っちゃあいない。寝具もあるし、寝るところもある。食事も支給されるし、電気もある。トイレだって使えるし、飲み水もある。でも、お金はいらない。
その全ては、ダーナという「寄付」によって賄われている。ヴィパッサナー瞑想に共感した考えをもつ人による、寄付。その考えを知って、僕も次へのバトンを渡したくなった。
1,000円を渡した。
11日間の宿代、食事代、生活費。それには間違いなく見合わないものではあったが、何の問題もなかった。そもそも、僕から受け取る必要さえ、なかったのかもしれない。
でも、そういう小さな「恩送り」によって、瞑想センターの活動は巡っていた。きっと巡っていくもんなんだろうな、と思う。
お金がなくちゃあ活動は続かない。でも、お金だけあっても足りない。そのお金が渡されたときには必ず「想い」が先にある。想いを形にしているから、続いていく。
この活動を、そういうものにしていきたいんだよな。
理由③ 嫌われる勇気をもって
ただね、こういうことを語ると
- 宗教かよ
- 自分の金でやれよ。
そういう批判が起こるかもしれないね。
それでも、やるんだよ。やると決めたからね、やるの。
ぼくは、宗教が悪いものとは思っちゃあいないし、どう考えるかは自由だよ。自分の力だけで頑張るか、「助けて、頼む!」と頼って生きるかを決めるのも、自由なんだよ。
自宅からお店までの道半ば。本町通りの小さな神社。白龍神社の前を通るときは、必ず手を合わせるんだよ。ありがとうって手を合わせるよ。
自慢じゃないけど、僕は自分一人の力だけじゃあ生きてはいけないんだよ。みんなに助けられて生きてるの。だから悪い。頼らず生きるのは、無理なんだ。みんなを信じて、これからも生きていきたいんだよ。
だから、その批判は全く僕には届かないんだ。
嫌われる勇気をもって、この文章を書くんだよ。