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フリーランス なるまでと これから。に、参加して。

どうも、生まれてから9702日目を生きているizumikunです。

今日は「フリーランス なるまでと これから。」というオンラインイベントに、オフラインで参加してきました。imawoに来る人がいつもいつも美男美女で困ってしまうんですけど、今回スピーカーとして沖縄から来てくれた、きぬまさ夫妻もまた素敵なお二人でした。われらがちづみさんも一緒になって「フリーランスになるまでのこと」とか「フリーランスとして数年やってきた今、これからどうしていきたいか。」についてのお話をする会。

お話を聞いて「これって、こういうことかな。」と思えたエッセンスのようなものをシェアしてみようと思います。大きく絞って、気づきは4つ。

  1. 論より、行動。
  2. 成功の話より、失敗の話の方がおもしろい。
  3. フリーランスって、個人商店のこと。
  4. コミュニティって、生活者の連帯のこと。

論より、行動。

こうだから、こう。
Aだから、B。

フリーランスになるって、そういうことじゃないんだなって思いました。

10時間かけて3000円の報酬を得たとき「これならいける」って思ったって話をしたスピーカーがいました。これだけ聞くと「いや、無理じゃない?」って思いますよね。

でもきっと

やっていくうちに効率的にできるようになるし、そうなれば単価も上がるし、原価もかからないし、ちょっと文章はかけるからできそうだし。って、当時思ったそうです。

根拠でも実績でもない「自分自身の感覚」を信じて、動く。

きっかけは、それで十分です。
あくまで、きっかけは。

ただし、いつどのタイミングにおいても「きっかけ」は舞い込んでくるから、どれだけ事業が大きくなっていったとしても大切な感覚。

もう一度。

きっかけは「自分自身の感覚」。
あくまで、きっかけは。
そしてそれは、いつも忘れずにいること。

成功の話より、失敗の話の方がおもしろい。

フリーランスになりたい人とか、これから目指そうって人って「どんな大変なことがあるかな」とか「具体的にどうして行ったらいいか」みたいな話の方が気になるんじゃないかなあって思って

izumikun

これならもう死にたいって思えた失敗談みたいなのありますか?

って尋ねてみたら、これが面白かった。

もちろんスピーカーたちの人生の紆余曲折も面白かったけれど、どうしても「フリーランスとして自立している今」までの成長過程を追っていくことになるから「へー!」みたいな気持ち。でも失敗は違う。

izumikun

え、そんなことなっちゃうのは嫌かも、気をつけて勉強しよ。

って、行動が喚起されるなあって思います。

現実的には、成功を積み上げていくより、失敗をして、失敗をしないように工夫して、それができたとき「成功したかも」って思って、何度もそうやって繰り返して。

そうやっていく内に、1日1日とすぎていって、そういう日常とか現実の中でふと「なんか、最近調子いいかも」なんて思ったりする。

成功なんてない。日常や暮らしや生活は、続いていくものでしょ?成功だと思った翌日に、大きな失敗をしたら。それは失敗?それとも成功?

サクセスストーリーよりずっと、小さくとも大きくともある「失敗」がおもしろい。それを失敗のままにしない「工夫」がおもしろい。そこに人が出る。

そういう話をもっと聞きたいなって思いました。

フリーランスって、個人商店のこと。

スピーカーの話とか参加者の質問のしかたを聞いて

izumikun

フリーランスなんてかっこつけて言ってるけど、よくよく聞いてたら、個人商店のことジャン。

と、思いました。

たいてい「どうしてフリーランスを目指すの?」って答えを聞いてると「時間と場所にとらわれない生き方をしたいから」っていうのを耳にする。でも、そう考えてる時点でとらわれてるって自覚することの方が、よほど難しいし、そういう人は少ないんじゃないかなと思う。あるいは、職業的には、WEB制作というパソコン1台でできる仕事をしなければ「フリーランス」というものに生きられないかのようにも、思い込んでいる節もないでしょうか。

では、陶芸作家はどうだろうか。藍染職人はどうだろうか。地元のクリーニング屋さんはどうだろうか。彼らもまたフリーランスであり、個人事業主であり、個人商店である。

WEB製作者はよく集まって仲良くするから「それだけ集まってお客さんはいなくならないの?」っていう素直な問いがある。もしその仮説が本当なら「焼き物のまち」と言われるほど陶芸作家があつまる町はなかったかもしれない。でも、そういう町はあるし、それぞれの作家さんはそれぞれに活躍をしている。そういう人たちは、平日の真昼間から、よく道端で話をしてたりする。これもまた、時間にも場所にもしばられない生き方だよなと、izumikunは思ってる。そういう個の暮らしが、全体を作っているんだよな。

同じように、WEB制作屋という個人商店が集まって、フリーランスという全体を作っている。それがどれだけ集まろうとも、それぞれにお客さんを抱え、仕事をしていく。できることが似通ってくるのなら、最後は「人」についてくる。

izumikunはそんなことを感じました。カッコつけてないで(カッコつけてるわけじゃないのは分かってます)個人商店としてありたいと思います。全体をつくる個でありたいと、そう思います。

コミュニティって、生活者の連帯のこと。

ちょっと前から「コミュニティ」っていう言葉の使い方がものすごく薄っぺらくなったなあと個人的には思っていました。

途上国でのコミュニティ開発と、日本の地域コミュニティと、WEB上のコミュニティでは、まるっきりコミュニティという言葉がもつ意味合いは違います。旅をしたりノマドしたりしている人の中には、旅先の居酒屋での住民とのひと時を「コミュニティ」という人もいます。

でも、ぼくはそれはコミュニティじゃないと思う。コミュニティってのは、生活者の連帯のことなんだと思ってる。つまり何が言いたいかっていうと、フリーランスって、場所にも時間にもとらわれない生き方なんだけど、それゆえに、どこにいても「生活者」にはなりえないことなんだと思うんです。それはつまり、個人商店として、あるいは連帯として全体をつくることはできない。つまり、時間と場所に囚われず、自らが「選んでいる」と思い込んでいるけれど、実際は、どこの場所にも足をつけられないまま生きることになる。時間だって、選んでいると思いきや、ホテルに泊まることも、眠ることも、起きることも、お会計をすることも、たいていのことは「決まっている」のではないだろうか。

自らが「選んでいる」ということは、たぶんあんまりない。生活者っていうのもそれに近い。やりたいことをやるというよりも、なるべくしてなってきたということの方が思いの外多いはずで、izumikun自身の生活もそうです。同じことの繰り返しがつまらないって「本心で」思っている人って、かなり少ないと思う。

その理由は「人は、聞いたことある言葉を使うから」です。同じことを繰り返しているのってつまらないじゃないですかっ!って言っている人がいたら、自分も言いたくなるもんなんです。プログラミングを学ぶなら、まずはHTMLとCSSを学ばなきゃ!みたいなのを口にする。これも、本当にそうしたいというよりは、そういうことを誰かから聞いたから、自分もそうであると思い込んでいると言わざるをえない。

人は、考えるよりずっと、簡素なモノ。

フリーランスになりたい人が本当に求めているのって、ノマドになりたいとか、場所に囚われずにとか時間も自由にってことじゃなくて、決定権を自分にもつってところだけだと思う。もしそうなのだとしたら、自分の決定する意志をもっと信じていたいと思う。

ちょっと長くなったし散らかった話だけど、izumikunは、珈琲屋をしようとも、WEB制作をしようとも、フリーランスとは名乗らない。ぼくは、フリーターであり、個人商店である。それゆえに、全体をつくる。コミュニティという生活者との連帯の中で。

さいごに

izumikunの気づきを4つシェアしてみたんですけど、さいごに、あと2つだけizumikunが感じた感覚を紹介しておきたい。これはね、izumikun自身を映してるからね、大切なアウトプットだと思ってるよ。

  • フリーランスとは「働き方なのか暮らし方なのか生き方なのか」定義のないまま語られていてきれいな話ではあるんだけど、ぼやっとして終わったなあって感じたよ。
  • クラウドソーシングは単価が安い。って表面的な話ではなくて、なぜ単価が安くて、なぜ手数料が高いのかっていうことを伝えて、その上で、駆け出しはどうそれを使うといいか。ってことを伝えたらいいと思う。お金のことを考えなきゃいけなくなったら、論(根拠)あっての行動も必要だから。

ざっくり言えば、哲学を感じえなかった。

よいかわるいかの話でもなければ「まあ、今回はそこまでの目的じゃないからね」って終止符を打たれるような話もしてない。izumikunはそう感じた。それだけの話だからね。

さて、明日は、兄が退院だよ。
あ、というか、ぼくはそもそもフリーターだったw