
暇こそ、人生です。
今年の8月はお休みします。理由を解説します。
目次がすべてです。
「暇こそ、人生です。」について【暇=時間=人生】
ぼくたちの社会は不平等です。でも、時間だけは平等に与えられています。
もう一つ真理があるとすれば、人には「寿命」というものがあります。
日本の平均的なものでいうと
- 男性:81歳
- 女性:87歳
このように言われています。
※便宜上「男」だとか「女」だとかって書いてるけど、まあ、これはあくまで「情報」として考えてもらっていいと思います。別に、社会的な性差について無視していいよなんて言ってるわけじゃないですからね。そういったデータがあれば、シェアしてほしいですが、どうにもそう言ったデータは見当たらない。だから、「いち参考」としては、このように書くしかないですね。近頃、言葉のはしっこをつついて「あなたは、こういった社会課題についての意識がないのですね。」と揶揄されることがあります。が、そういったやりとりによって、社会課題に対する「心の距離」がどんどんと離れていっていると言うこともまた、実情なんじゃないかなあと思うわけで、思いつきで書いてみましたが、まあこんな話は無視してください。とはいえ、こんな但し書きが必要だなんて大変難しい時代なのですね。言葉一つ説明するだけで夜通しかかりますから、本当に大変です。
ぼくは
- 身体的:男性
- 精神的:男性性
- 性的指向:ストレート(女性に性的魅力を感じます)
ですから、おそらく男性の平均寿命を参考にすると良いかと思います。
計算してみると
- 寿命:81歳
- 年数:81年
- 月数:972ヶ月
- 日数:29,565日
- 時間:709,560時間
この中に、
- トイレ
- 食事
- 仕事
- 旅行
- 趣味
- 睡眠
などなど、あらゆる営みがあるわけです。
これが、ぼくの人生というわけです。
今は27歳ですから

「おおよそ1/3あたりまで来たなあ。」
と思うわけですね。
時間をどのように使い、どのように過ごすか。
死ぬ直前「どんな人生だったか。」と聞かれて思い返すことといえば
- どんなことをしてきたか
- どんな人と出会ってきたか
- どんな場所を旅したか
- どんなことを成し得たか
- どんな感情を抱いたか
- どれだけやりたいことを”やれなかった”か
こんなようなことじゃないかと思います。
翻ってみると、

今、なにを行動するか。やりたいことを、しておくか。
その蓄積が「人生の最期」を飾るわけです。
いかに”暇を取り戻すか”が鍵
生きるためには「資本」が必要な社会を、ぼくは生きています。
となると、働かなくてはなりません。
働くことで「資本」を得るのです。
ぼくはここまでしか母から聞かされませんでしたが、
ここをもう少し書くと
生きるために「必要な分だけは」働かなくてはなりません。
実態はどうやら、こういうことのようです。
そして、この「必要な分」というのをどんどんと大きくさせられるような「社会」の中に、ぼくたちは生きています。
- メイクしなくちゃいけない
- 贈り物をしないといけない
- 良いパソコンを買わなくちゃいけない
- スーツを着なくてはいけない
- 新築を買った方がいい
- 流行の服を着た方がいい
- 結婚した方がいい
- 子どもを授かった方がいい
- 良い車に乗らなくてはならない
こうしたあらゆる「社会の幻想」を目の当たりにして「必要な分」がどんどんと大きくなっていきます。
そして、働かざるを得なくなるのです。
働いているから大きくするのではなく、大きくなってしまったものをなんとかするために働く。このような順番で、人生が決まっていくのです。
ぼくは「必要な分」を小さくしました。であれば、働かなければならない分も小さくなるはず。
そうすると、働かなくなった分で「暇」が生まれます。
いいえ、本当は「暇」が先にあったんだと、ぼくは思っています。
この「暇」という茫漠とした”時間のかたまり”を使って
- 働いたり
- 生産したり
- 旅をしたり
- 寝転んだり
- 歌ったり
しているわけです。
その暇を使って何をするか。その選択肢を増やすために、
- 必要な分を減らして
- 働く時間を減らして
- 暇な時間を取り戻す
あるいは、働くだけ働いて「時間を買う」という方法もあります。
どちらにせよ「暇を取り戻す」ということです。
大事なのは、時間。暇であることなのです。
1ヶ月休む理由:休みの「上限」をなくす
年末年始に海外に行ってきました。
1週間の旅程の真ん中で、風邪っぽくなって2日間ほど寝込みました。
その中で考えたり・調べたりしてわかったことは
- 日本人は、長くて1週間の休みで、イタリアとフランスを回るような”無理な旅”をすること
- バカンス(1ヶ月の休み)ができる人は、のんびりと”余裕のある旅”をすること
- 働きすぎると生産性は下がり、休むことで生産性は上がること
- 日本人が休めない理由には「周りの目が気になる」があること
- 日本の年間休日は、世界的にみても”多い”こと
- でも「休めてない感」があるのは、残業や休日出勤が普通だから
- そもそも残業ありきで給料が設定されているのも、よくある
- それなのに有給が簡単に取れないのは「人の目がある」から
働いていないと思われたくない。怠惰に思われたくない。何もしていないと不安。
正直、インスタグラムを見ていると、おしゃれな投稿は気になるし、より良い発信をしていたり、みんなに支持されそうだなあと思う発信を見ると「劣等感」に似たものを感じる。
そして、自分の「発信することのなさ」を省みて、まるで自分が「無価値」なようにも思える。
だから、もっと頑張らなくちゃ。そう思う。頑張らなくちゃ「ダメなんだ」と思う。
どんどんと休みがなくなって、ぼくはぼくのキャパシティを超えて、よく体調を崩す。
人よりもずっと体力がないから、多くの人は大したことないことでも、すぐ体に支障をきたす。1日のお店の営業が終わると、正直すぐに帰って寝たい。しんどいのだ。それはお客さんの対応がどうこうじゃなくて、ぼく自身の身体的キャパシティの問題だ。
それもこれも「人の目」に起因してる。
気にするあまりに、自分との対話を忘れて、働いた。
だから今年は「休むから設計する」と決めた。
ぼくたちは週に2日休むのが普通だし、1週間も休んだら「長期休暇」だ。
こういう常識のような「上限」をなくすことが大事。
自分でも、フランス人のようなバカンスはできるし、最近話題の週休3日はできる。そうやって自分の人生をちゃんとつくっていく。暇を取り戻していく。
ホームレスは生きてるし、フリーアコモデーションしてる人も生きてるし、WWOOFしてる人も生きてるし、とかく収入がなくても生きてる人はたくさんいる。
数年働かなくても滅多に死ねやしない。
瞑想センターに行けば(非常に自己都合で申し訳ないけれど)無償で食事もいただくこともできる。
あらゆる不安は杞憂であるし、ぼくたちは、休むことができる。
なぜなら、
ぼくたちは、もともと時間を持って生まれているし、誰しもが暇だからこそ活動ができているのだから。その集積が、人生なのだから。
休むことができる。ではなく、そもそも休みの中を生きていて「働くこともできる」というのが正しい向きな気さえする。
まあ、そんな理由だ。
8月に休む理由
天気の理由:暑すぎる
暑すぎる。人が行きたいのは、避暑地。ぼくがいるのは、避暑地ではなく「焼き物」という名前からして暑そうな場所だ。天気も名前も、暑すぎる。
そういえば昨年、熱中症でうちに寝込みにきたお客さんがいました。年々、暑くなってますし、倒れ込まれても対応が難しいです。営業に支障はあるけれど、かといって、それにかかったコストの請求もできません(できても、きっと「悪魔め!」と言われそうです。)
また、昨年倒れ込んだその方には「このお店は、塩あめも用意してないんですか?」と何故か責められたので、下手な善意は傷つくだけだなと思った次第です。
設備の理由:エアコン故障
エアコンが故障した。
海外経験ある姉に聞いてみると「この国は、エアコン滅多にないね。基本的にドアは開けっぱなしだし、冬は寒いし、夏は暑い。鳥が店内に巣を作るくらいよ。」と言ってた。
空調の管理までして、wifiまでついて、ご飯もテーブルまで運んでくれて、お水も注ぎに来てくれて、、、。
ぼくは、この国がいかに「サービスを無価値に考えているか。」を目の当たりにしました。
その国ではカフェに入ると、ホットコーヒーが4$なら、アイスコーヒーは8$でした。
理由は単純に「手間がかかるから」です。
コストがかかってるんだから「払ってね。」です。
クレジットカードで支払うお客さんからは「商品代金の2.5%分の手数料もらうからね。」と但し書きがあるお店もありました。
設備は、無理をさせると故障します。夏の暑い日にクーラーをガンガン使えば、そりゃあ故障もします。でも、そのコストの価値は見出されることはありません。
お水がなくなれば「お水ないよ。」と言われておしまいです。お水ありがとう!と言われたことないです。エアコン涼しいわー!助かったー!はありますが、嬉しいわー!ありがとう!お礼にチップあげるね!はないです。
そんなわけで設備を無理に稼働させるのを控えたいので、お休みします。
休みを作るための2つの考え
固定費を11ヶ月で分割して補填
例えば、休む予定の8月にかかる費用が11万円なら
11万円/11ヶ月=1万円
毎月1万円多く固定費を見積もっておくと、1ヶ月は休めるわけです。
固定費を減らす
でもこれが
33万円/11ヶ月=3万円
と、固定費が多いほど余計な支出が増えるので、固定費は小さい方が、1ヶ月のお休みは作りやすいです。
他人の目は無視してOK
この単純な計算ができるのに、どうして1ヶ月休めないのか。
それはやはり「人の目」があるからですね。
でも、それは無視してOKです。
人生を代わってくれるわけじゃないのです。
「他人の人生にとやかくいう人生」を送るか「他人の人生にとやかく言わず、自分の人生」を生きるか。
迷わず後者を行きましょう。
休み中に”したい”こと【注意点を解説】
もともと予定していた「郡上おどり」はいく予定ですが、取り立てて「やりたいこと」はありません。
「やりたいことがある」から休むわけではないからです。
ただ、休むのです。
日本人の多くが、休むために
- 買い物に行ったり
- お出かけをしたり
- 旅行をしたり
- アクティビティをしたり
します。
でもぼくは昔から、休みの日に移動することが大変だなと思っていました。1日外出すると、もう夜にはヘトヘトだからです。
休みは家にいて休んだらいいじゃないかなと思います。せいぜいお散歩したり、本を読んだり。
休みは、休みですから。
この辺りは、それぞれの体力に合わせて調整かな思います。
たくさん働くことで体調にも負担はないし、幸せ。ということであれば働くのも良き選択かもしれません。時間をどのように使うかは、その人次第ですから。
あくまで「in case of izumikun」でしかないので、細かいところは、それぞれに当てはめて考えてみてください。
ぼくは「こうします」という話ですので。
おわりに。
「文化」をつくってきた、アイヌやマオリといった民族の手仕事に少し興味を持ってきました。ただ、そうした文化がどうして生まれたのか考えてみると、やっぱりみんな「暇だったんじゃないかなあ」と思うわけです。
暇だからこその、想像力。
今年は「休みたい必要量だけ休めたら」あとの暇な時間を、そうした手仕事に当ててみたいなと思っています。
僕たちはもう「お前の人生どうだった?」と聞かれて思い返すことが何かを知っています。であれば、それを作ることができる「今」から、思い出をつくっていくことが人生そのもの。
限られた時間、一番若い今日から、どのように生きるか。自分の人生の舵取りは自分でしかできないし、いかに暇を取り戻して、自分の選択で生きるか。
とても大事なことですね。
色々書いたら嫌われそうですが「嫌われる勇気」はぼくの好きな本の一つですから、きちんと実践して、気ままに書いてみました。
そういうわけで、今日も素敵な1日を🌿