
2022年を振り返ります。
4つの投稿に分けているので、1から読んでみてくださいね!
今回はパート4です◎
1年を4つくらいに分けてみると
- アルバイトをはじめる【居候ニートからの卒業】
- 開業準備をはじめる【人生は何が起こるか分からない】
- 喫茶MEM.をはじめる【ようこそ、サバイバルの世界へ】
- 生活を見直す【人生の羅針盤づくり】☜今回
こんな感じです。
今回で最後ですね!
ここまで読んでくれてありがとうございます◎
こんな方向けの記事です
- MEM.店主 izumikunってどんな人?
- 2022年どんなふうに過ごしてきたの?
- ニートだけど人生大丈夫かな?って思ってる人【大丈夫です】
それではパート4どうぞ〜!
目次【出来事を時系列で並べました】
9月〜生活を見直す【人生の羅針盤づくり】
居候ニートからアルバイトとなり、アルバイトしつつお店を始めることになりました。そして、いろんな方の支えあり出会いありで、9月までやってきたわけです。
ただ、9月のこの辺りで、ものすごく体調を崩したんですね。
カミさんの看病のかいもあって体調は無事に戻ったんですが、僕は考えました。

あれ、何のためにここにいるんだっけ。
当時の僕は
- 固定費が増えた!やばい!
- 生活費を何とかしなくちゃ!やばい!
- スキルゼロだ!不安しかない!やばい!
- 右も左もわからん!不安しかない!やばい!
こんな感じだったんですね。
そんな不安を消しつつ、生活を良くしたい、お店を安定させたいという気持ちがあって「週休ほぼゼロ日」で働いていました。
それでも安定しないお店と、入れないシフトに不安を抱えました。
その結果、
- 体を壊して、働けない日が生まれた
- 体を壊して、自由な時間も作れなくなった
- 体を壊して、お金の不安が増した
悪循環ですよね。
しかしながら、その不安が一挙に晴れてからリスタートできたわけではありません。
不安を抱えながら進み、進みながら考え、不安を飲み込んでこの数ヶ月を過ごしてきたわけです。
その中で考えたことが以下の3つ
- 働き方と健康について
- 商売と生活について
- 未来に何を残すか:甥っ子に誇れる自分である
このことでした。
今回のシリーズは最後にこの3つについて書くことで、2023年へのバトンとしたいと思います。
一つずつ書いてみます。
働き方と健康について考えた
まずはその当時の「現状」について
現状:休みなく働いて、体調を崩した。
その結果、大事な人と過ごすこともできず、収入が減ることでお金の不安は大きくなりました。

働いているのに、不安が止まない。
これは、おかしい。何か違う道があるはずだ。
次に「自分にとっての健康」について
ぼくは、昔から体調が良くないです。
肺に疾患があって、昔から運動を避けてきました。
なので、基礎体力も筋力もほぼゼロです。
登山:ほぼできません
スポーツ:ほぼできません
風船;ふくらませられません
重いもの:ほぼ運べません
体力:疲れやすく、すぐ休みます
体調:崩しやすいです
なので、そもそも「週休ほぼゼロ日」というスタイルには無理があったのです。
僕にとっての健康は、こうしたことの取り除くような状態かもしれません。
僕にとって「健康的に働く」ってどういうこと
ここまでのことを併せて考えると
体力的に無理がなく
適度に休みをとることで
安定的に働き続けられる状態
これが、僕にとっての「健康的に働く」なんだと思います。
ただ、自主的に休むと、それはそれで収入を減らすことにつながるので、注意も必要です。
それも踏まえて大事なポイントは2つ。
- 適度に休みをとる
- 具体的には週に1〜3日のお休み
- 収入の範囲内で生きる
- =” 必要 “以上に、収入を追いかけない
これを決めることです。
もし仮に「健康的」という言葉の中に、”精神衛生上の”という前置きをつけるなら『決定権をもった仕事をする』という条件もまた、大事なポイントに追加したいことの一つです。
商売と生活について考えた
働き方も健康も、あくまで個人の話です。
しかし、商売には相手があり、生活にも相手(カミさん)があります。
似たような言葉ですが、違うものとして捉えてます。
まずは、「働き方と商売」のことを考えみた
ぼくは、お金の不安があったので、休みなく仕事を入れていました。
そして休む必要性を感じてからは「休みたい日」や「休める日」に休むことにしていました。
でも実は、この「働き方」は商売向きではありません。
商売というのは
人が訪ねやすい状態にしておく
ということが非常に重要だからです。
でも、オーナーが休みたい時に休むと、訪ねにくいですよね。
もし商売をしようというなら、
金土日月といった決まった日に営業する
というのが「訪ねやすい状態」と言えるかもしれません。
これは「働き方」としても、習慣化しやすいので安定的と言えます。
次に、「商売と生活」のことを考えみると
僕にとっての”生活”というのは「カミさんとの暮らしのこと」です。
カミさんとの暮らしを考えていくと、そこには
- 家事をすること
- ご飯を作ること
- 一緒に食べること
- 買い物に行くこと
- 外食をすること
- お出かけすること
- 一緒に過ごすこと
- カミさんの友達との関係 etc…
いろいろなことがあります。
この全ては、お互いの時間を持ち寄って楽しむんだけど、ぼくの時間の多くは「商売」のために使うことを決めています。カミさんも同様に、時間を「屋号」に使います。
そして、ぼくらは働き方によっては、朝から晩まで「商売」をしていたり、家に帰ってからも「商売」をしていたりするわけです。
そこには
別に、何もせず、ただただ一緒にいる。
そういう幸せはないように思います。
常に「商売」について考えていて、かつ、カミさんのあれこれについても同じくらい考えている。
僕はパンクするし、安心する家でそれを発散することになる。
商売と生活は切っても切れないし、生活を優先しすぎる働き方をして「商売」を減らすと、生活がままならなくなることも、想像に容易いですよね。
だから僕にとっては、
商売を、生活のものとする。
ただの言葉遊びではなく、これがいいんじゃないかと思っています。
そのために必要なことは2つ
- お客さんと「友達」になる。
- 生活レベルの幸福感を「仕事に反映」させる。
- 商売を生活の一部として捉えなおす
端的にいうと「商売の起点を”生活”にする」ということです。
ぼくたちはどこか「商売は商売。」「生活は生活。」というふうに考えていますが、商売は「金稼ぎ」ではなく、他人の生活をより良くしたいという「生活レベルの充足」を目指した思いから出発しているわけです。
ここで「健康的な働き方」で「生活レベルの幸福感を反映させた商売」というものをまとめると
- 収入の範囲内で生きると決め、適度な休みをと理ながら、働く。
- その働きは、”生活”を出発点とするものであること。
- カミさんとの時間を過ごすこと=生活レベルの幸福感そのもの
- かつ、そのヒントが溢れている。
- これを反映させた商売をすること
- なぜなら僕たちの商売はそもそも。生活の充足が発端だから。
ちょっと難しく書いちゃったけど、
端的にいうと
「休みつつ、低支出で生きる。」と決め、
「商売の起点を”生活”にする」ということ。
このことがこれから大事なんだろうなと思います。
甥っ子に誇れる自分である
ぼくは、先に書いたようなことを、よく知らずに生きてきました。
そして、今までもこういうことばかりだと気づいたんです。
ぼくは知りませんでした。
- ipodがただゲームができる音楽機器ではないことを
- お金と向き合うには「稼ぐ」「守る」「使う」「増やす」「貯める」という5つの力を育む必要があることを
- 大学3年の頃に、ビットコインバブルが起きていたことを
- SNSが当たり前になることを
- 人は、ある一定の心理学に基づいて行動していることを
- マイホームは資産ではなく負債だということを
- 商品価格の全てが、商売人のものにならないことを
- インターネットで稼ぐ方法があるということを
- 自分で稼ぐこととバイトをすることには天と地の差があることを
- 僕たちは必要のないものを買わされていることを
ぼくは今の年齢になってやっと気づきました。ぼくが教わってきたことはもはや「この時代のためのものではないんだ」ということに。そして両親が語ることもまた、古い時代のものであるということ。
これを思った時、生まれた甥っ子のことを考えました。

この子がぼくの年齢になる27年後、いやはやこの子が大人と呼ばれる20歳になる時、この世界は一体どんなものだろうか。
答えは、わからない。でした。
なぜならぼくは、この世界のことを「知らなさすぎる」からです。
でも、甥っ子が成長して、いろんな言葉がわかって世界を捉えるようになった時に「こいつ、かっこいいな。」と思ってもらえる大人でありたい。
そして、彼が何かを始める時に「渡せるもの」を何か、作っておきたい。そのための生活だし、そのための商売だと思っています。甥っ子にかっこいいって言われたい。それだけです。
なんで、あの時教えてくれなかったの!
って言われないように「おじさん、わからんわー」なんて言ってないで、時代の中をちゃんと生き抜くおじさんであれるように、勉強する。
だって、おかしいです。先祖は何代もいるのに、どうして自分の資産はゼロから築かなきゃいけないんでしょうか。家制度があるなら、それをみんなで使えばよろしいでしょ?でもそうなっていない。
でもそれは、おかしい。ぼくは甥っ子に何か渡せるものを残して死にたい。
甥っ子に、かっこいい大人の背中を見せる。
誇れるような何かを残して、死ぬ。
そういうつもりで生きていきたいのです。
まとめ:さて、来年はどうする?
ここまでをまとめると
- 休みつつ、低支出で生きる。
- 商売の起点を”生活”にする
- 甥っ子に、かっこいい大人の背中を見せる。
誇れるような何かを残して、死ぬ。
こんな感じですが、もう少し深ぼって見ると
- 休みをとる=週休1〜3日
- 低支出で生きる=生活水準をあげない
- 商売の起点を”生活”にする
- 商売の中に「友達」がいること
- お客さんと「友達」になるとか
- 「友達」とイベントをするとか
- 「友達」とワークショップするとか
- カミさんと一緒にやること
- カミさんのおやつやメニューを出すこと
- アイディアを共有し合うこと
- 一緒にお出かけをして知的好奇心を高める
- 生活の課題を解決し、欲求を満たすこと
- 地域文化を知るとか
- 調味料をうまく使いたい!とか
- マイナンバー登録どうする?とか
- 話を聞いてほしい!とか
- カミさんのおやつやメニューを出すこと
- 商売の中に「友達」がいること
- 甥っ子に、かっこいい大人の背中を見せる。
- 勉強し続ける=大人の勉強夜会
- 夢を掲げ、旗を立て、挑戦する
- お金の話ができる
- 愛する人を大切にする
- 友達を大切にする
- セクシャリティの相談にのれる
- 「渡せるもの」を作る、残す
こんな感じ。
カミさんに聞いて貰えばわかりますが、ぼくはほとんど自分のためにお金を使いません。大抵は、他の人のためや、お店のためです。
行動の動機も「自分の夢のため」というよりは「誰かのため」という方がしっくりきます。やりたいことをやればいいというけれど、そんなものはありません。ただ「甥っ子のために」という一点です。「カミさんのために」という一点です。「友達のために」という一点です。(一点の使い方、たぶん間違ってます)
そして、商工会議所の方の紹介で「ブランディングの専門家」との話し合いの末、
人と文化の交差店 MEM.
というフレーズを掲げることにしました。
この場所を通して、まだゼロ歳の甥っ子にギャフンと言わせたいです。
そんな結論に至った2022年でした。パート4までご覧いただき、ありがとうございました○
そういうわけで【2023年どうする編】スタートです(また更新しますー!)
【ちょっと番外編です】
2022年は本当にいろんな方に支えられたのですが、ちょっと大変なこともありました。「人との距離」を見誤った例についてです。最近では、LINEなどのチャット機能が発達しました。これにより、スマホ同士・タイムラグなしのコミュニケーションが取れるようになりました。まるで、目の前にいるかのように。でも、現実は「眼前に広がるもの」であり、スマホの中のあなたではないのです。だから、その頻度や、チャット上で使う言葉一つには、大変気を配る必要があります。
えてして、時代は進み、フリーランス・転職の時代です。立場や関係性は、ぐるぐるとどんどん変わっていきます。そうした変化に自分を対応させられず、旧タイプのまま生きている人とのコミュニケーションは、非常に大変なものです。(むっちゃ大変でした。)
とりわけ、40代以降の方とのやりとりで起きることが多いです。
これは「その人たちが悪い」とも言えますが、そうとも言えません。構造的な問題とも言えます。現代は、ジェンダー論でわかりやすいように、言葉一つに対して、いろんな見方をすることができます。つまり、携帯といえば「パカッと開くやつ」と思えた時代では無くなったということです。携帯といえば、それは「携帯電話のことですか?携帯という言葉そのもののことですか?」といった具合です。
ネットというと「インターネットのことですか?網のことですか?」といった具合です。
共有概念がもはや無くなって、一つのことを話すのでも、壁がいくつもある時代になったのです。だから、LINEでするようなコミュニケーションは「簡易的なもの」に控えるべきで、濃密なものは対面かzoomに絞る。こういう棲み分けができることが重要です。
かつ、いつでも返信のあるようなものではないと知ることです。相手が答えやすい情報を渡した上で、答えてもらうような意識を持つということです。
こういうリテラシーをちゃんと理解した上で、ツールを活用していく。2023年はいろんな方とのやりとりが増える予定なので、こうしたことは反面教師として学んだ次第です。

いつも長くなるけど、
そういうわけで、今日も素敵な1日を🌿