ぼくには、夢がない。

ぼくは、MEM.という喫茶店を営んでいて、平日には観光施設で働いていたりもする。時々、WEB制作をさせてもらったり(これはあんまり積極的じゃない)、マルシェイベントで珈琲を淹れるときもある。お店もなくて仕事もない日は、友達がやってるイベントに参加したり、ぼうっと家で本を読んだり、お店のあれこれをしたり、パートナーとぶらっとドライブに行ったりする。そうかといって、そんなに経済的にゆとりがあるわけでもない(車はもちろん友達から譲ってもらった激安お古)ので、行くところは公園だったり、ちょっとした喫茶くらいだったりする。たまにケンカもするし、同じ場所にいるのに、全然違うことをしてる時もある。

世の中には「やりたいこと」をしてる人がいる。「やりたいこと」を探してる人もいる。「やりたいこと」を見つけられなくて、苦しんでる人もいる。そして、「やりたいこと」はないけれど、ただ今日を生きている人もいる。「やりたいことがない人」のなかには、惰性で生きている人と、幸福感に満たされている人がいる。ぼくはどうやら、最後の最後のその一人。「やりたいことはない」けれど「幸せ」という人。

ぼくには、小さなやりたいことを「夢」と表現してる友達がいる。明日、友達とお出かけするときに着るおしゃれな服が買いたい!と思って、買ったおしゃれな服を着て友達とお出かけすれば「夢が叶った」と、その人は表現してる。これは、夢がないとか、やりたいことがないって人にはいいメソッドだと思う。

やりたいことや夢を「定義していく段階」としては。人は、より大きなこと、自分の手に届かないようなものに夢を見る。そういうものを「やりたいこと」と表現してる。でも、本当はもっともっと自分の近くにあるところに、夢ややりたいことがあるんだって気づくことができる。これって、少し言い方を変えてみると「自分が願った未来を、自分の手で実現させる力を養う」ってことなんだと思う。

今日の夜はカツカレー食べるぞって思ったら、今日の夜にカツカレーが食べられるように、スーパーに行って買ってみたり、ココイチに行って食べたり、レトルトカレーと近所のお肉屋のヒレカツを合体させてみたり。

夢、やりたいこと(目的):カツカレーを食べるぞ。
実現させる方法(手段):いろいろある。

たぶんこういうこと。この手段に、人の色が出る。人生が人の数だけあるのは、同じ夢を持っても、立場や状況によって手段が変わってくるから。この手段が1つずつ重なっていった時に見えるものを、経歴とか言ったりする。

ぼくはこれを「道」と呼んでる。

どこか遠くに夢があって、そこにたどり着くための道がある。それは遠く遠く長い道のりかもしれないし、今日のランチはサラダを食べよう。くらいに短い道のりかもしれない。これは、夢ややりたいことや目的によって、その長短は変わってくる。

そう思えば、夢はどこにでも落ちてることになる。夢に溢れた人生は、そうやって自分の夢とその道をとても短いものにして、ひとつひとつを叶えていっている人生のことなんじゃないかと思う。

えてして、ぼくには「夢」がない。「やりたいこと」もない。それに「目指すべきところ」もない。これは、誰もが主張していいと思う。決して「ない」ということに、悲しむ必要なんてない。そして、このことも覚えておいてほしい。

人は、反対のことをしてると、その反対に行きたくなる。ってこと。

例えば、右利きの人が左利きの人を見たら、左手でちょっと食べてみたくなる。そういう経験はないかな。あいつなんて嫌いだ。なんて言ってる人は、実は実は、あいつのことが気になってる人。離れたいと表現してるのに、心のどこかでは隣にいたいとも思ってる。そうやって、人間の内側には相反することが共存してる。

ぼくには「夢」がない。「やりたいこと」もない。そうやって主張を続けていくほど、少しだけ、反対の方への引力を感じるようになってきた。気がしてる。

夢がない人
やりたいことがない人
そういうものが見つからない人
見つからなくて苦しい人

そういう人はみんな

私は、やりたいことは、ありません!
私には、夢もありません!

でも、生きてます!

そういう主張をしたらいい。

生きてりゃ楽しいと感じることも、苦しいと感じることもある。生きてりゃ、やりたくなくてもやらなきゃいけないことも出てくるし、やらなくてもいいのに、どうしても手が動いちまうことだって出てくる。そういう自分をいっこずつ観察していって、まずは自分を理解する。

ああ、そうか。てめーは、そういう人なのか。

そういうことを気にする。

てめーってのは「手前」のことで、本当は相手を指す言葉じゃない。
自分を指す言葉なんだよね。

しかも「人は自分の写鏡」って言葉になぞらえて言えば、相手を指していたとして、結局は、その相手(鏡)に映る自分に言ってるんだよ。

自分ってのはどういう人なのか。まずはそれを知ること。

「やりたいことがない」と知った。そして、見つからないと「苦しいんだ」ということを知った。じゃあ、やりたいことを「見つけた」のはどんな人だろう。どうやって見つけたんだろう。ないと幸せじゃないのかな。あったら幸せなのかな。自分はどう感じるだろう。

そうやって、自分を知っていく。やりたいことを見つけるより先に、自分ってどういう人なんだっけ。どういうことに勝手に手が動いたり、考えたりするんだっけ。と、立ち返る。

たぶん、夢とかやりたいことって、そういうところが出発点なんじゃないかと思う。

ぼくには夢がない。
その気づきが、道のはじまりなのだ。

※注)結局、夢を見つけよう。って話じゃん。って思った方がいたら、それは誤解だ。ぼくにはえてして夢がない。でも、夢がなくとも生きているし、それなりに楽しい人生を送ってきた。そして、これからもそうだろう。ただ、人には夢をもつタイミングというものがあるんじゃないか。とも最近は思う。それは自分でコントロールできるものではないかもしれない。その一瞬が、きっとあるはず。その瞬間をのがさないようにしたい。人生は限られてる。人生、それは時間。その時間をどう使うかが、自分の人生。ただ道を歩くだけの人生もいいが、道を歩く中で「腹が減ったから飯でも食べよう」という気持ちで歩いていれば、なんとなく「飯屋」が目につくもんだ。そうすると、その「飯屋」への道ができる。その道を辿ると、不思議なもんで「飯屋」に辿り着く。これが、夢とかやりたいことに非常に近い。そういうことが、ぼんやりと言いたかっただけなのさ。

それでは、今日も素敵な1日を🌿