「だから言ったのに」は思っても言わない。【理由:人が動くのは、何かに気づいた時だから。】

今年の6月から喫茶店を始めました。MEM.という小さな喫茶店です。始めたてですから、いろんな人が集まります。ものや人は「エッジ」に集まります。部屋の隅の角。埃が溜まりますよね。道路の隅、ゴミが落ちてますよね。教室のすみ、人が溜まってますよね。そうやって、人やものは、エッジに集まりやすいです。

聞こえていることと、届いていることは違う。

そんなエッジに立っているMEM.には「新しく何かを始めたい。」「新しく活動を始めている。」という人も度々訪れます。そうした人とお付き合いするとき、ぼくが知っていることは全部お伝えするようにしています。

でも、すこし時間が経つと「だから言ったのに。」って思うことが多いです。僕がお伝えしたことを実行せずに、自分のオリジナリティーでもって突き進んじゃった結果、お伝えした通りの未来を歩んでいるからです。

僕が言っていることが素晴らしいというつもりはありません。何より、僕自身はいわゆる「成功」というものを体現していませんし「結果」を出せているわけでもありません。

ただ、自分なりに注意していること、実行していることで結論の出ていることをお伝えしているわけです。にもかかわらず、聞く耳を持たずに、実行して、お話ししたことをあたかも「知らなかった」を言わんばかりの顔で、僕に話をするのです。

その時僕は

「だから言ったのに。」

と、思います。

耳で聞こえていること、会話ができていることと「その人に、届いているか。」というのは、随分と違うようなのです。

大事なのは、届けるということ。届けるというのは「気づきを与える。」ということなのです。

だから「だから言ったのに。」とは、言わないことにしました。

人が動くのは、何かに気づいた時だから。

だから言ったのに。というのは、もう少し詳しく書くと「耳に聞かせてやったのに。」ということだと思います。つまり、心に届いてはいなかったということです。

心に届いてない。

こう書くと「信頼されてないんだね。」と思うでしょうか。でも、そうではありません。

心に届ける。そのために必要なものが「気づき」だからです。気づきは、本人が気づくことでやっと得られるものだからです。

「だから言ったのに。」と言っていることは手紙のようなもので、「気づき」というのはポストのようなものです。その人にとっての何かを受け入れられる場所をつくるのが、気づきなのです。

だから、気づいたのなら「言ったじゃん。」はもういう必要のない言葉です。だって、気づいてほしいから伝えていたことですもの。気づいたのなら、もう必要はありませんよね。

おわり

人は、経験の中から学びます。経験の中に、気づきを見出します。同じことをしても気づく人と気づかない人がいますが、気づく人にだけ、多くの学びがあります。

だから、経験することで気づいたのなら、それでいいのです。

それに対して他人がとやかくいう必要はないのです。

仮に「前に言ったじゃん。」と思うようなことは、その人自身が、経験から学んでいることがほとんどではないでしょうか。人は同じ過ちを繰り返すのです。車輪だって再発明します。

でも、それでいいんです。そういうものです。そういうことが「時間の無駄」と思う人だけ、効率の良い方法を進めばいいのです。

万人が、そうである必要など、どこにもないのです。

だから僕は「言ったじゃん。」をやめることにします。

そういうわけで、
今日も素敵な、1日を🌿