人生がゲームみたいに思えてきた。

「どうぶつの森」っていうゲームがあるらしい。

そのゲームの中では、朝も昼も夜もあって、お金の概念もある。土地もあるし、所有権の概念も存在する。野菜を育てたり、魚を釣りに行ったりすることもある。これは、あくまで現実をゲーム化しているにすぎなくて、そこで行われていることは、あくまで、ゲーム機の中でだけの話。でも、それが現実に影響を及ぼし始めてる。

NFTという世界が出てきた。そしてNFTをつかったゲームというものがある。NFTゲームの中では、ゲーム内通貨が「仮想通貨」であり、それは現実で使われている基軸通貨と交換することで得ることができるし、ゲーム内で条件をクリアすることでゲットすることもできる。ここまではまだ、今までのスマホゲームでも同様の動きがあった。

ゲームにハマるあまり、ガチャを回すためにお小遣いを全部突っ込んだり、親のクレジットカードに多額の請求がいったりするニュースも。ゲームは、現実を凌駕するほど、人を魅了する。ゲーム、あるいは、そのゲーム性というものは、人間の根源的な欲求のひとつであることは間違いない。

そして今、NFTゲームでは、現実とゲームの垣根を超えて、ゲーム内で稼いだジェムを基軸通貨に変換することができるようになっている。ゲームをすると通貨がもらえたアクシーや歩くだけで稼げたSTEPNなどはその例で、今はどちらも大暴落しているけれど、話題を呼んだ。

ゲームが現実の生活基盤になりうる世界が、より身近にやってきた。この流れをほんの少しだけ、ほんの上部だけさらってきた肌感覚から「人生がゲームみたいに思えてきた」というのは、非常に驚くべき気づきである。

例えば、ゲーム内における経験値をつむというのは、経験値が多く得られる敵が出現する場所で、ぐるぐると堂々巡りをして、経験値がたくさんもらえる敵を何度も何度も倒しまくることを意味する。経験値というのは、その行動をまとめて「経験値」と呼んでもいい。

ぼくの生活に置き換えれば、もともと料理やドリンクに興味のなかったぼくが喫茶店をオープンするのは、非常にストレス負荷の高いことで、オープンする日は結構大変なことなのだ。でも、オープンしなければ、オープンなどできない。より魅力的なメニューや内装を検討することもできない。でもやれば、そういった経験値を積むことができる。

ところで、今日の売上は、3,000円だったんです。じゃあ、これをどうするか。ゲームであれば、武器を手に入れたり、マテリアルをかけ合わせて新しい素材を作ったり、どうぐを買い揃えたり、ロックを解除したりする。プレミアム商品券の旗(本当に旗だけ)を行政からいただいたのに、旗を掲げる道具がなかったから、3,000円をもって買いに行くことにした。

もともと持っていた、旗
新しく買ってきた、重しや棒

これを掛け合わせることで「のぼり旗」ができた。

そして明日からは店頭に「プレミアム商品券はうちでも使えますよー!」ってPRすることができるようになったのだ。

人生のゲーム化。

ほかにも、中に紙をはさめる下敷みたいなのとか、定規とか大きめのコインケースを買ってきた。これのおかげで、

  • 中に紙をはさめる下敷きみたいなの
    →防水スプレーとチラシを掛け合わせることで
    =雨の日でも使えるポスターが完成する
  • 定規
    →クッキーのサイジングができるし、形を整えることができるようになった
  • 大きめのコインケース
    →小口と売上など使い分けができるようになった
    ※まだ、非接触のみはできてない(Airペイ検討中!)

はじめは村の中を歩くしかなかった。それでも経験値を貯めて、ジェムを貯めて、車を手に入れた。こうして遠くに行くことができるようになり、より新たな冒険ができるようになった。しかし、車を動かすには、燃料が必要で、それを買うにはジェムが必要だった。ジェムを効率よく稼ぐには、少し高い道具が必要だ。ゲーム内ではLUCKと呼ばれたりするけど、現実では「効率化できるツール」といったりして、これを使うと、より短い期間で、よりたくさんのジェムをゲットすることができるようになる。そうして、遠くへと冒険に行く。

しかし、冒険を進めていくと、自分がもっている武器が心許ないことに気づく。あるいは、身につけている服装が古いことに気づく。そして、ジェムを使って購入し、ステータスをあげていく。そうすれば、次の冒険をもっと楽しめるのだ。冒険を楽しむためにジェムを稼ぎ、ジェムを使う。ジェムを使えば減るが、より効率的にジェムが稼げる道具もやり方も、経験値を積めば手に入れることができる。ときには、ただジェムが減っていくようなこともする。例えばロックを外す。ただ、これは道具をゲットすることよりも大きなパワーを持つ。許可を取るとか、パスポートを手に入れるとかは、まさにゲーム内でのロックを外す行為に近い。

人生を、そんなふうにゲームみたいに考えたら、面白い。みんなが一様に考えればわかることがこの世界にはある。でも、そのことに人生で一度たりとも気づくことなく生きて、終わりを迎える人もいる。人は、想像以上に、その人でしかない。自分が主人公であるなら、主要なキャラはそれぞれにいるはずで、モブのような存在もいるはず。自分がモブかもしれない。いや、ほとんどの人にとっては、まるでゲームの外側にいると思う。モブですらない。

とはいえ、現実は今、ゲームのように見える。そして、ゲームは今、現実と重なろうとしてる。スピリチュアルとか都市伝説的に、実はこの世界は誰かの箱庭の中で、誰かに操られているんじゃないか。みたいな話は、あながち間違いでもないような気がしてくる。

中が外で、外が中。今、その境がなくなろうとしてる。その世界をどう生き抜くか。どう楽しむか。人生をゲームのように考えて、ゲームの中で人生をつくっていく。いかに、この世界を楽しもうか、そんな気持ちで、生きていく。

最近は、そんな感じですね。ゲームって暇つぶしみたいな感じに思ってたけど、ゲームやりたいなーと思っているところであります。

それでは、今日も素敵な1日を🌿