ライフステージには「余白」がない

いずみくん

この記事は、いずみくんが書き進めている著書「DISCOVERY LIFE 〜不安を安心に変えて、自分らしく生きる方法〜」に掲載する文章を、リアルタイムでお届けしているものです。

ぼくたちの人生には、限りがあります。

しかもそれは、

  • あと半分かもしれないし
  • あと10年かもしれないし
  • 実はもう死んでてもおかしくない

という、人によって、感じ方が違うものかなと思います。

ぼくの場合は「折り返しかな」という印象ですが、皆さんはどう感じましたか。

あと10年とか、あと半分だなとか思った人にとっての次なる「問い」は「この先、どう生きていこう」だと思います。

決められた生き方

え、あと半分しかないの?
あと10年しかないの!?
いやいや、もう死んでるの!??

焦る気持ちも、束の間。

生まれてから20年の人には、就職が。
生まれてから30年の人には、結婚、子育てを。
生まれてから40年の人には、マイホームを。
生まれてから50年の人には、自分の趣味を。
生まれてから60年の人には、孫の世話を。

人生には、生まれてからの年数ごとに「こういうことしようね」という出来事が決まっています。それを「ライフステージ」といい、このライフステージに合った生き方が、社会的な「正解」とされています。

ぼくは、このライフステージについて知った時に、こう思いました。

「あれ、人生終わるじゃん。」

“すでに”予定パンパンなの、なんで?

ぼくたちは、生まれてから死ぬまで、生きています

その瞬間まで生きていきます。日本では80年くらいの人生が用意されていて、75年くらいは健康で生きられます。

シエラレオネでは、平均寿命34年で一生が終わります。

生まれてから30年の人には、結婚、子育てを。
生まれてから40年の人には、マイホームを。

「は?」

人生には、限りがあります。

それは、生まれた場所で、こんなに変わります。
まさにガチャです。運ゲーです。

そしてぼくは、わりとラッキーな場所に生まれました。

そんな恵まれた人生を、どうして「予定で埋める必要があるのか」と思うわけです。

想像してみるだけで、忙しそうです。

ライフステージの話には「余白」がないのです。

そこがぼくが苦手なところです。

余白はなく、あるのはローン。

  • 仕事始めたら、よき相手。
  • よき相手となら、よき結婚。
  • 結婚したなら、子どもはまだか。
  • 子どもが生まれたら、次は家。
  • 家を買ったら、大きな車。
  • 車買ったら、旅行へ行こう。
  • 旅行へ行ったら、土産を買おう。
  • 土産を買ったら、ご近所付き合い。

どこまで行っても、やることだらけ。

しかもすべて、支出です。

生活のために働くのは、さほど難しくありません。

なのに働くのは、ローンのためです。

「人生の時間」の中で働くのではなく「決められた人生の枠組み」の中で”働かされている”のです。

そこには、まったく「自分のための時間」がありません。

「自分の人生なのに。」です。

「時間は、限られているのに。」です。

なのに、予定でパンッパンになって、全く余白がない。

余白がない=アソビがないということ。

「え、なんで!?」

アソビしかないはずなのに

生まれてから死ぬまで、あるのは「時間」

言い換えるなら

生まれてから死ぬまで、あるのは「余白」
とも言えるし、
生まれてから死ぬまで、あるのは「アソビ」

とも言える。

日常生活で

  • 時間がある
  • 余白がある
  • アソビがある

と言ったら、わりと自由に、なんでもできる。

そんなイメージが湧くと思う。

なのに、ライフステージには、余白がない。
なのに、ライフステージには、アソビがない。

これは、何かがおかしい。

そしてぼくは、そのステージから降りることにしました。

ーーーーーー次は、この世界が生まれた理由 ーーーーーー

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