まとめきれない雑多な話をいくつか【適切な意見の出し方】

たくさんの意見やアイディアをいただく。本当にありがたいと思う。でも、

izumikun

アイディアは足りてて、そのアイデアはもう一瞬で思いついて、一瞬で却下したやつなんです。やってない理由があるんです。(でも、そんなこと言えない。言ったとしても、やらない理由探ししてるやつに思われるし、八方塞がりだ。まいったな)

ということも、少なくない。

でも、ありがたいことに意見は止まない。(本当にありがたい。)

ぼくはこのことを考えて、どうしたら相手に届くアイディアや提案ができるんだろうなあ。と。

これはあくまでizumikunの場合だけど、大事にしたい(してほしい)ポイントは4つあるかなあ。

  • 相手の「態度」を知ろうとすること
  • ひとつずつ伝えること
  • 行動変容は、そのあとでいい
  • 功績は全部あげるつもりでいる

ひとつずつ解説。

【相手の「態度」を知ろうとすること】

なにか意見やアドバイスをするとき、つい「こうしたらいいんじやない?」と行動を変えることを求めるアイディアを伝えちゃう。

でも待ってほしい。

その人「なにも考えてない」わけがない。きっと何かを考えていたり、これまでの経験からくる習慣や手順にのっとって、ものごとに取り組んでいるはずだ。

だとすれば「こうすれば?」というのは、相手の「生きる道」に無理くりUターン標識をぶっさすようなもの。

例えば,,

どちらから来たんだい?北からだよ。西へ行きたいんだが、どっちへ向かえばいいかな?それなら、この道がいいぞ。だが少し危ないから、迂回していくと遠回りだが、安全に次の町へ行けるはずだ。

こういうやりとりの中の「どこから」「どこへ」ということ、それから、例えば「何をしに行くか」といったことが、いわゆる「態度」とぼくが呼ぶもの。

まずは、ここを共有すること。

【ひとつずつ伝えること】

できることから、ひとつずつでいいよ。
だってひとつずつしか、できないんだから。

は、みんな知ってるし、多くの人が口にしたことあるんじゃないかと思う。でも、意見をいう人の多くは、アレもコレも伝えようとする。ひとつずつしかできないのに。

もし本当に「改善」を望むなら、今必要だと思う変化をひとつだけ選んで伝えると、言われた身としては改善しやすい。

キャパシティを超えないから。全部やったほうがいいのは分かるけど、予算や時間やなんかと、できない理由(=これはそのまま、やるための準備にもなる)は事実としてあるもの。だから、その許容量のなかに収まるものを、ひとつだけ。

一つだけ伝える。

【行動変容はそのあとでいい。】

行動の変化は、想像より遅いと思う。だから、やってない理由なんて問わなくていいんだと思う。攻める必要もない。ただ、態度を何度も確認して、やる必要性を感じてゆくようにすること。そして、やるとなった時に生じる「できない理由」みたいなものを、どう消してゆくかを考えてみること。

そこからやっと「行動変容」をめざす。

悩みの多くは「やればいいじゃん」で決着がつくようにできてるんじゃないかと思ってる。でもそもそも「やる!」となれないから、悩んでるのだ。

だから、新たなアイディアを実践できないのは、単にそのアイディアにインパクトを見いだせないことの他に、アイディアと態度が合っていなかったり、必要性を感じていなかったりして「やる!!」となれてないところにある。

だから、話題にあがるような「こうすればいいのに。」という行動変容をうながす意見は、「時期尚早かもしれないし」「態度を知らない振る舞い」という見方もできるんじゃないかな。

【功績は全部あげるつもりでいる。】

ぼくはよくアイディアを投げて来たけど、さらっと採用されてるってこともある。〇〇さんのアイディアを採用して、やってみます!ってあんまりない。

自分で考えたかのように振る舞おうとする傾向が、ある気がする。人は「その人がやったこと。」に対する過剰な評価をしている節がある。

例えば、お店でお菓子をだすと「あなたが作ったの?」と聞かれることがある。でも商売であるなら、仕入れて売るということは当然の話。「いいえ、友人に作ってもらってます。」そう伝えると、しゅんとする。「あ、そうなの。」ってね。

つまり、いざ自分が何かをする時には「自分がしたこと」として扱いたくなる。その方が評価されると思うから。だから、そんなものは全部あげるつもりでいるといい。そうしないと「私が伝えたこと、やってるかしら。成果出たなら、連絡くらいあるはずよね。」と結果が気になってしょうがなくなる。これは、軋轢を生む(ようにできてる)。

終わりに。

ここからは余談。以上のことはあくまで「小さな単位」での話のように感じる。誰かと協働しているという意識があれば、その人ができることと同じくらい「全体として成し得ているもの」を見てもいいんじゃないか。と、思う。

ぼく個人としては

  • 考え→意見
  • 相談→提案

こういう棲み分けをしてる。自分の考えがあって伝えるときは、意見として伝える。それは、相手の行動変容を求めているようなものではなく「自分はこうだよ。」というだけのもの。そして、行動変容を求めるようなものを「提案」と呼び、これは「相談を持ちかけられている状況」からしか、発生しないものとする。

「どうしたらいいか。」より「どんな態度か」が第一。

行動変容はそのあとでいいから。

そういうわけで、今日も素敵な1日を🌿