自分にしかできないことがあるとは、思わない。

どうも、izumikunです。

地元の小商でより集まって勉強会をしているのですが、ちょっと引っ掛かったというか、自分はちょっと別の軸で生きているなと感じたので、何回かに分けて書いていこうかなと思ってます。

さっそくですけど、SWOT分析って知ってますか。

  • S 強み(自分のいいとこ)
  • W 弱み(自分の課題)
  • O 機会(チャンス!)
  • T 脅威(ヤバイ状況)

ってのを整理して、これからの経営の方向を考えていくみたいなことです。

考え方とか、フレームワークとかいったりするけど、こういうことを考えていく中で「競合と自分の差分をはかる」ってタイミングが必ずやってきます。

脅威をのりこえたり、機会をものにしたり、自分の課題を改善したり、どこを強みとしてより良くしていくか。そういうことを考えるために必要なわけです。

だからこそ「自分にしかできないことは?」と尋ねられたりします。先日の小商のあつまりでも。

でも、自分にしかできないことがあるとは、どうしても思えなくて。逆に言えば、誰がどんなことしても「その人だけの、その人にしか出せない何かがある」とは思ったりします。言ってみれば、その人にしかできないことは、その人がその人を生きていることそのもので、行為じゃない。そういう心持ちって感じですかね。

でも、SWOT分析をしたり、小商で集まったりすると、そういう説明って全然聞こえてすらないみたい。ぼくにとっては、みんながやっていることも、その人にしかできないことではないと思ってる。

今の状況に至ったのは、偶然だし、たまたま。自分の人生を完全に意図して生きてる人なんでどれだけいるんだろうって思うよ。自分の人生の選択って、自分が知っていることの中から選べるものだとしたら、その全てを知っていなくちゃ、本当の意味で人生を選択してるとは言えない。きっと、たった1%にも満たない世界の片隅を小さく生きているのが、ぼくたち。

だからね、今何をしていようと、特別なんてことはないと思ってる。農家も、カフェも、うどん屋も、リフォーム屋も、フリーターも。自分にしかできないからやってることってないと思う。

そもそもの出発点にズレがあるのかな。(あ、これは、ただ文句を言いたいとかそういうことじゃなくて、どうして自分にしかできないことを探す必要があるのかを考えたいから、一度、逆に話を展開してみる。そうすると、その逆の方へエネルギーが強く向くから。)

もし仮に、自分にしかできないものがあるのだとしたら、コーヒー屋はどうしてこんなにあるんだろう。もし仮に、自分にしかできないものがあるのだとしたら、ラーメン屋もうどん屋も農家も、どうしてこんなにあるんだろう。それに、どこのうどん屋に行っても、たいてい美味しい。どこのお野菜を買っても、たいてい美味しい。どこのコーヒーを飲んでも、たいてい美味しい。

そうなってきたら、自分にしかできないものって「存在から生まれ溢れる何か」でしか語れない。ってことは、そもそも、自分にしかできないものがあるってことって本当はないんじゃないかって思います。

これだけカフェがあって、これだけうどん屋があって、これだけWEB制作者がいて、これだけ作家がいる。代替可能じゃない=つまり、自分にしかできないのだとしたら、こんなに同業者っていないよ。ぼくには、その一つ一つが「本当に違う」とは思えなくて。(そういう目を持っていないだけなのかな。)

ヴィパッサナー瞑想で生きていることを実感したり、乙武さんの五体不満足を読んだりアーバンパーマカルチャーの精神を学んで足るを知ったり、億男を読んでお金と幸福度の関連について気づきを得たり、テンダーに出会って生活費とかお金の価値みたいなものがいかに曖昧かということが分かったり。

そんなことしてたら、みんな違うし、それでいて何ひとつ違わないもんなんだって気づく。差をつけて、競争する。そういうところからは遠い場所に自分がいるんだなと、つくづく思う。

それでも、SWOT分析をしてシェアしなきゃだからね、やりますよ。ただ、やっぱり、自分にしかできないものはないと思うんだよなあ。

というわけで、また。