やりたいことや、好きなことはあるか?

どうも、izumikunです。

4月から常滑で借りる家の大家さんに会ってきました。

常滑には陶芸作家さんが多くいるけれど、大家さんもその一人。常滑がまだ土管を大量に生産していた時代のことも知っていて、その隆盛と衰退を経験してきたと言います。今は、急須や鍋、笛などの新しいものづくりを「人が健康であり、幸せであること」という軸を持って取り組んでいます。

そんな常滑の焼き物を牽引してきた大家さんが高校生くらいまで暮らしていた家。そこが、izumikunが借りる家であり、4月から共同で暮らすシェアハウスになるというわけで、ございます。

それで、そこの大家さんと大家さんのお母さんと3人で、老舗の草餅やシェラトンホテルでも使われてる陶製コップでお茶をいただきながらお話しをしてたときにね。

大家さん

あんた、将来やりたいこととか、好きなことはあるんか?

そう聞かれました。

ぼくは即答で、

izumikun

ない、、、ですねえ。笑

それから、

大家さん

常滑を伝えるって言うけど、あんたじゃなくてもできるよな?

izumikun

はい!ぼくじゃなくてもいいと思います!

って。笑

これ、全然ふざけてるわけじゃないんです。たぶん、多くの企業さんの面接でこんな回答をぶちかましたら「なにこいつ」って思われても仕方ないと思うんです。でも、これが本心なんです。

izumikunってやりたいことがあってやってるわけでもないし、好きなことがあってやっているわけでもないんです。多くの若者は「こうしたいです!ああしたいです!!」って熱をもって伝えている人がいると思うんだけど、ぼくはね、あんまりそう言うことはないんですよ。自分がやりたいって気持ちがない。ただ、こう言うことが必要かもしれないとか、こう言うことができるかもしれないってことがあって、それをやっていると言うだけなんです。

このシェアハウスのこともそう。誰かにやって欲しいなって言うタイミングで、その誰かとしてizumikunがいたと言う感じです。好きだからやるとか、やりたいからやるって言う前提を自分で作っちゃったら「好きじゃなくなったとき、やりたくなくなったとき、じゃあやめるの?」って問いが出てくると思うんです。

その問いを自分に投げたときに

izumikun

ぼくって、と言うか人って、生きたいから生きてるわけじゃないし、生きるのが好きだから生きてるわけでもないよなあ。

って思っちゃったんですね。

これってただの屁理屈だって言われるのはわかってるんだけど、確かにその通りだなって自分にヘッドバッティングしちゃえるくらい真実だとも思っていて。そもそも生きていることに理由なんてないんだから、自分の行為にも理由をくっつけちゃダメだなって思ったんです。だったら、目の前の人の幸せを作るって言う、一点突破でいこうと思っています。

だからね、izumikunは、やりたいことも好きなこともありませんが、それでいいと思っています。そう言う若者が多いと言う話も聞きましたけど、それでもいいと思ってます。だから、そういうことで悩んでる人がいたら、どうか安心して欲しいです。それでいいと思う。やりたいことも、好きなこともなくていいと思う。

ただ、この人を支えたい。この人の助けになりたいという何かは見つけるといいと思う。小さく積み上げていったらいいと思う。助けたいって思う人がいなくて困ったらまずは、izumikunを助けて欲しい。

好きなことも、やりたいこともなくていい。人生もそう。生きたくて生きてる人はいないし、生きるのが好きで生きてる人だっていないんです。

つまり、理由もなく進めってことです。これが自分に対するメッセージだし、izumikunが「いろいろやってる」ように見える理由だと思います。

なくても、進め。
進めば、見える景色がある。

そう言うことだね。

シェアハウスなんてやったことないし、一生同じ場所で暮らす確率なんて低そうだなーってことを考えると、住人が常にいるかどうかなんてこともわからない。それでも進む。進めば分かることもある。

そう言うわけで、好きなこともやりたいこともないよ〜!って話でした笑

またね。