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Still Alive. Be Happy.


思い合えるってだけで、素晴らしいですよ。

どうも、生まれてから9652日目を生きているizumikunです。

いろんなパートナーの話のあれやこれやを聞いた後に「独り身からしたら、思い合えるってだけで素敵ですよ。」って話をしたら「思い合えるって、恋だけじゃないからね、みんなに対して同じくらい想いはあるよ。」って返ってきて、ぐうの音もでないというか、それはそうだけど、シンプルに「パートナーがいて、思い会えるって素敵だよ」って言ってほしかったなって思った。最初に「独り身からしたら」って前置きしたのがいかんかった。想いがあるのはizumikunも同じだよ。でも、パートナーがいる人もいない人も「想いは同じ」ってなったら、もうもう、どうしようもできない感じがして、ちょっと胸のおくが落ち着かない。独り身でいる自分を卑下しているわけじゃないし、かといって、恋をしたいと願っているわけでもない。ただ、独り身でいて思い合うってことと、パートナーと思う合うってことは、やっぱりちょっと違うものだよな。だからなんだって話でもないんだけどさ。

たまには、そういうことも思う夜のこと。

そういえば今日は、フリーター珈琲が常滑の観光施設で出店する意味は「コーヒーが提供できる」ってところからは「ずれている」のではないかと思ったんだった。それを書いて、寝ます。

izumikunは、他にも珈琲屋さんがたくさんある地域の中の一角で珈琲出店をしているわけなんですけれど「コーヒーを提供する」ってだけなら、別にそこでやらなくてもいいわけです。ここで入ってきそうな意見としては「いやいや、東京の神保町みたいに、隣にもそのまた隣にも古本屋さんがある街もあるし、同業者が集まった方が「〇〇な町」みたいになっていいんじゃないの?」との声ですね。ただ、ああいうのは、昔は本がみんな買えなかったから、古本を取り扱うことで学生たちでも本を手に入れやすくすることに貢献していったっていう背景がありますよね。改めて考えてみても、常滑に珈琲屋が新しくできるのは、常滑にはお茶できる場所がないから珈琲屋を始めた方がいいよねって感じじゃないんですね。

だから、そういう意味では、izumikunが新しく出店でコーヒーを出す意味はないと思っていました。来週の土日で終わりの予定で、正直、あんまりやる気もない感じでした。意味を感じられなかったから。

ただ、今日で2週目が終わって思うのは、izumikunが出すフリーター珈琲の存在理由、その意味は「コーヒーではなく、会話と案内にある」ということです。とこなめ散歩道のなかで「ふらっとさんぽがてら会話できる珈琲屋」ってないんですよ。もちろんね、珈琲屋はコミュニケーションの商売ですから、会話をする珈琲屋さんはありますよ。ただし、珈琲屋さんに入ってからじゃないと会話するタイミングがないんですね。つまり、お店に入る=お金を使う=コーヒーを注文するってことが分かってからじゃないと、しかもそれでいて、店主から話しかけてきてくれないと、コミュニケーションまでたどり着きにくいということです。

じゃあ、フリーター珈琲はどうかというと、コミュニケーションが「先」です。観光施設は、とこなめ散歩道のマップに記載されていて、ほぼ間違いなくみんな立ち寄ってくれる場所なんですが、建物に入ってすぐフリーター珈琲がいるんですね。で、入り口はガラス張りで、なおかつ、コロナ対策ということもあり、半分は開けっぱなしになっているんです。だから、入ってきた人にはもちろん「こんにちは」と挨拶をして、もし入ってくるのを躊躇っていたら「中で、焼き窯の見学と、2階で作家さんの作品がご覧いただけます」と案内をして、帰りには「ありがとうございます。よい1日を。」で見送る。施設の外にも展示がありますから、それを眺めている人のもとまで行って、詳しい説明をしたり、天気の会話をしたりすることもあります。コーヒーよりも、コミュニケーションが先にある。これは、観光施設ならではなものだなと思います。

それはそのまま、フリーター珈琲としての「意味がずれた」ともいえます。コーヒーが先なのではなく「挨拶」「案内」「見送り」それから「会話」というコミュニケーションが先。そのあとに「コーヒー一杯いただくよ」ってなればラッキーくらいなもので、むしろizumikunの価値は、そこにあるなと思いました。

圧倒的な世界観を作れるわけでもないし、圧倒的にバリエーションのある珈琲世界を提供できるわけでもない。でも、よくよく見渡してみたら、常滑という町そのものが圧倒的な世界観なのだから、その世界を伝える術をもつことは、新たに作られていく圧倒的な世界観や商売にもひけをとらないエンターテイメントなんですよね。なにしろ、みんなそういう世界観で非日常を感じたくてさんぽしに来てくれてるんですから。素直に、それに応えていくのも、いいのかなと思っています。

継続させていく気持ちは小さいですが、フリーター珈琲として観光施設の中でコーヒーを淹れているというのは、大きな意味があるのだろうなあ。というか、さんぽがてら立ち寄れる場所、どうしても入らなくちゃいけないような気がする場所で「必要なものを提供する」ってむちゃくちゃ大事な考え方だなと思いました。

となりの「たんぽぽ」さんや「足湯カフェ」がヒットしているのもそれが理由です。さんぽがてら立ち寄れる。ここに気付いていると、次の一手が見えてくるんじゃないかなあと思っています。

タイトルと全然関係ない締めだけど、そんなこんなで明日は郡上へ行ってきます。
ではまた。

izumikun

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