どうも、メムです。

人と文化の交差店 MEM.喫茶Tokonameって喫茶店を散歩道でしながら、平日には散歩道内の観光施設ではたらいてるメムです。
今回は、実はあんまり知られてない廻船問屋瀧田家の魅力を書いてみました!ほんとに知られてないの!
だからこそ、知ればオモロい!
5分で読めるから読んでってー
知ればオモロい!廻船問屋の魅力!
まず、廻船問屋ってナニ?
分からない単語があるときは、分解してみたらわかるぞ!
廻船=船で廻(まわ)ってる
問屋=たくさんのものを仕入れて売ってる人
要するに、
船をつかって色んなところを廻ってる人(=廻船業者さんが)が、仕入れたり頼まれたりしたものを海をこえて運んで廻った(問屋さん的なお仕事をした)って感じかな!
常滑には、たくさんの廻船問屋さんがあったけど、今公開してるのが瀧田さんがやってた建物だから「廻船問屋瀧田家」って名前なんだね。
廻船問屋瀧田家がオモロい理由3つ!
理由3つって、何も考えてない人がとりあえず言っちゃうやつって知ってるのを承知で、やっぱりここは理由は3つ!!!
- 知られざる「常滑市指定有形文化財」の背景。
- モノの動きを知ると、文化が見えてくる。
- そもそも瀧田さん家族が異色すぎる。
やっぱりこの3つ。
1つずつみていきましょう。
①知られざる「常滑市指定有形文化財」の背景。
常滑にはいくつか文化財があるんですけど、廻船問屋瀧田家もその1つ。常滑市指定有形文化財・建造物として保存されて、海運の歴史や瀧田さん家族の遺したものが展示されています。
でも不思議なのは、廻船業が盛んだった頃(陸路が発達してなかったころ)には、常滑にも廻船業者が他にもたくさんいたはずなのに、どうして瀧田さんの建物だけ指定されたのかってこと。
その理由の1つにあるのが、残された資料点数の多さ。特に重要なものが「仕切り帳」と呼ばれるもので、これが廻船問屋瀧田家が保存される最大のものじゃないかとメム的には思ってます。
なぜなら、仕切り帳を読み解けば、モノの動きが知れて、日本の文化がどう生まれたのかを知ることができる(かも知れない)からなんです。
②モノの動きを知ると、文化が見えてくる。
仕切り帳は、ざっくりいうと「何を、どこの、誰に運んだかを記録したもの」です。モノと場所とヒトの出会いが、そこには詰まってるわけです。
例えば、常滑と同じく知多半島に位置する「半田市」のお話がわかりやすいでしょう。半田市にはミツカンのお酢が有名です。廻船業が盛んだった江戸のころには、江戸まで米酢などが運ばれて高値で取引されていました。
しかし、江戸では参勤交代でやってきた労働者たちが多く、決して裕福な人たちだけではありませんでした。道には屋台が立ち並び、仕事の合間にさっと飯をかき入れて、パパッと次の仕事へいざ行かん。そういう人が多かったもんだから、二八蕎麦や立ち食い蕎麦みたいな文化が流行ったんですよね。東京に行くと、、、ね?面白くなってきたでしょ?
でも、米酢は高くて、庶民がお寿司を食べることは難しかった。そこで、半田のミツカンがやったのは、お酒造りからでる「酒粕」からお酢をつくる「赤酢」の開発。その頃、知多半島あたりでは酒造も盛んだったので、江戸では「中国銘酒」って呼んで人気がありましたからね。
しかも、捨てるはずのものから作ったものだから、安い。当時は米酢よりも赤酢が安くて、江戸の屋台に「早ずし」ができて、下町の味として、江戸前寿司の原型のようなものが生まれたわけです。
現在、高級寿司店では、赤酢をつかったお寿司が出てくることがあります。が、それはこうした歴史的な背景があると知ると、もっと暮らしが楽しくなるよね。
「なにが、どこの、誰に運んでたか」が分かる「仕切り帳」が残ってるってことが、本当に貴重なことなんですねー
③そもそも瀧田さん家族が異色すぎる。
もうお腹いっぱいだと思うけど、ここは外せない。瀧田さんち、やばいのよ。
一番最後の代のことだけでも、ざっくりいうと
- 父:常滑の財界人
- 母:日本人の女優第1号
- 息子:フランス文学者
- 娘:日本航空で女性初の管理職(キャリアウーマンの先駆け)
なんか、秀才ぶりがにじみ出てる家族だなあって思いますね。
またこれを読み解いていくと面白いんだけど、それはまた別の機会に。
おわり
そんなわけで、廻船問屋瀧田家の面白さ!ひいては、廻船問屋さんの面白さについて書いてみました!〇〇家住宅みたいなところが全国にありますけど、そういうところも、もっと面白く楽しめるようになるかなーと思います!北前船とかも調べたいなーとか思ったりしてます。
いいなーって思ったら、ぜひ、リアクションくださーい!
そういうわけで今日も素敵な一日を🌿
【廻船問屋瀧田家】
愛知県常滑市栄町4-75
毎週水曜日と年末年始はお休み
開館時間 9:30~16:30