ひとりの時間を、つくる。

一緒にいたい。ぼくはそう言われると「そうか、じゃあ一緒にいようか。」となってしまう。これを優しさと呼ぶのかはわからないけれど、少なくとも、相手を傷つけようと思ってそんなことは言わないし、むしろ、一緒にいることで幸せと思ってくれるならという願い。だから、できる限り「仕事だから」とかは言わないようにするし「あ、用事入れちゃった」とは言わないように、できる限り調整しようと思う。

でも、どうしてもやらなくちゃいけないこともある。そんなときに「ごめん仕事があって」というと「一緒にご飯食べたかったのに。」と聞こえる。そうか、とぼくも思う。じゃあ、と思って、一度家に帰って一緒にご飯を食べて、その後にもう一度仕事場に戻って仕事をする。歩いて15分を、往復する。そしてまた15分かけて家に帰る。

そうしてどんどんと、パートナーと過ごす時間が増えていった。でも、そのことが純粋に「幸せか?」と問われたら、そうは思えなかった。愛するパートナーと過ごす時間があればあるほど幸せなはずで、手を伸ばせば届く距離にいることほど幸せなことはない。でも、そうは思えなかったのだ。理由は、簡単だ。ぼくたちは近すぎたのだ。

近すぎたことを理由に僕たちはぶつかった。気持ちをぶつけ合うようになった。ぶつけあうことで、内側を外側に出し合うことで、お互いのことが少しわかった気がした。そして今、ぼくは一人でパソコンを叩いている。そしてパートナーは家で、新メニューを開発している。

ひとりの時間を持つことで、それぞれの時間を許し合うことで、僕たちはより近い場所で共存することができる。ぶつけあうときの「圧」に耐えてくれたパートナーには心から感謝したい。

ひとりの時間を使ってぼくは今、ブログを書いていて、おかげで英語の学習も、独り言のような英語の発音もシャドウィングもできる。ひとりだからできる。ひとりだから、一緒にいることの尊さがわかる。ひとりでやっていることを伝えたくなる。相手が何をしてたのか知りたくなる。そうやって僕たちは、ぼくたちを新しくしながら、理解しあっていく。

ひとりの時間を、つくる。本当に大事なこと。

よくパートナー同士のことで「相手が何やってるか知らない」という人に会ったときに「え、関心ないの?気にならないの?」っていう人がいるけど、これは話している人のフェーズが違うから、実は話が成立してない。関心がない場合もあるかもしれないけど、実のところ「相手を信じている」とも言える。信じ合うことで、互いが自立しあえて、分かり合えるようになる。

鳥は群れで飛ぶけど、おぶさって飛んでるところは見たことない。自立してはいるけど、寄り添い合う。そういう関係は、とても大事だと思う。

そんなことを学んだ、パートナーとの出来事でした。

では、今日も素敵な1日を🌿