大量生産を否定しない、ひとり工場の独り言。

どうも、izumikunです。

シンプルに感情で話をすることをやめてみよう。感情で話をすると、

  • かわいいねー!!
  • それいいねー!!!
  • 素敵だねー!!!
  • いやだよねー!
  • あれはないわー!

で、物事が進んじゃう。

でもこれって、何ひとつ物事の理解が進んでいないことも往々にあって、2時間のミーティングの末に「なんの根拠もないのに次の一手を決めちゃう」ということになるのは、ありがちな話。

例えば、

大量生産より、手作りだよね。

っていう意見があります。

手作りの方がおいしいって意見です。事実としては「おいしい感じがする」という意見とも言えますね。

でも一方で、「大戸屋」とか「小麦の奴隷」とかはセントラルキッチンで大量に生産したものを冷凍して、それを各店舗で再調理したり焼いたりして、エンドユーザーに提供したりしています。無人の冷凍餃子屋さんなんかも街角に見かけたりします。

しかも、おいしい。

今じゃ、大量生産品だからおいしくないとか、手作りだからおいしいとかそういう軸では語れなくなってきました。

こういう見方の他にizumikunがずっと思っていたのは、味の問題は別としても、そもそも個人で手作りするか、工場で大量生産するかって結局「工場の規模の違い」でしかないよなあってことです。

フリーター珈琲としてマルシェ出店をしていて思ったのです。これって、工場じゃんって。

お客さんが来て

お客さん

コーヒー一杯、ください。

と言えば、ぼくは豆の量を測って、ミルで豆を粉にして、それをフィルターにセットする。その間にお湯を準備して、お湯を注ぎ、決められたレシピを再現しながらコーヒーを抽出していく。ドリップが終われば、決められた量をカップに注いで、代金と交換して提供する。

これって、工場と同じとは思いませんか?

工場って、ニーズがあるから作ってるんです。マルシェ出店の個人商店のフリーター珈琲も同じです。ニーズがあるときに、生産して提供しています。工場の規模感が違うだけで、個人商店だろうと大量生産の工場だろうと、99%同じことだと思っています。

ただ、唯一違うことがあるとすれば「商品ではなく人と人の心のつながりを提供できるということ」。この人から買いたいとかっていうのは、もはや食品とか味とかいう領域ではない、購買理由です。だから、ぼくたち小商がしてなくちゃいけないのは、人の生活の隣にあるということです。コーヒーといえばあの人だね、もっというと、珈琲屋はいっぱいあるけど、頼みやすいのはあの人って言ってもらえるようになる必要がある。

そこが単なる大量生産の工場とは違うところです。

美味しさでも、上手さでもなく、人となり。
そういうところに、ぼくたちはいるんだと思います。

だからね、一概に、工場の大量生産を否定しません。
そんな、ひとり工場のひとりごとでした。

それに、ファクトリエみたいに工場で働く人のパーソナリティに焦点を当てて活動している企業体もありますから、本当に一概にいえない世の中だし、素敵なことだなあと思っています。

店舗に置いてあるほとんどは「見本品」っていうのも面白いので星ヶ丘店、ぜひ行ってみてね。

それでは、またね。