大人になるって、なんだろう。

どうも、izumikunです。

2014年、ぼくは日本福祉大学に入学した。そのタイミングで、一人暮らしをはじめ、それから5〜6年ほど美浜町に住んでいました。その時に出会ったたくさんの仲間たちがいます。大学の卒業、就職、ドロップアウト、さてさて、自分はどう生きるかー。そんなことを悶々と考えていたり、探していたりした頃。そこには、学生という枠の外にいる人間がいました。

珈琲焙煎屋、弁当屋、カレー屋、有機農家、陶芸作家、アーティスト、和芸者、祭りイベント主催者、古民家ランチ屋さん、お菓子屋さん、焼き菓子屋さん、建築会社の社長、消防士、趣味の達人、小学校の先生やりながら灯台を開放しようと頑張ってる人、竹灯籠をつくって灯イベントする人たち、デザイナー、着物屋さん、新聞記者、町議会議員、米屋、建築家、ゲストハウスオーナー、森のようちえんの方、ママさん、学童保育の先生、後天的に障害をもち大学に入った人、宣教師、ヴィーガン、野にたゆたううたかたの舞。

あらゆる人がいました。

今となっては、出会ってから8年ほど前からぼくのことをみんなは知っているのです。何もやりたいことがなく、なんの取り柄もない頃の自分を知ってる。その頃から、ぼくは何もできないし、色々動いているつもりでも何もできておらず、得意なことも趣味も何もない人でした。今もさして変わりがないと思っています。ただ、当時のizumikunを知っている人からしたら、大きな変化があります。

今のizumikunは、知多半島の常滑で暮らしながら、シェアハウスオーナーをしたり、やきもの散歩道の中でMEM.喫茶 Tokonameという飲食店をしたり、毎週名古屋へ戻っては地元への恩返しとしてコーヒーを淹れたりしています。2つの観光施設でアルバイトもしています。主ではないですが、WEB制作やチラシデザインなどもすることがあります。

こういうizumikunの動きをみて、何もなかったizumikun=いろいろやれるizumikunに大きく変化して、しかもそれらでちゃんと生活しているのだから「え、izumikun、すごいじゃん。大人じゃん」ってことなんだと思う。でも、内心、あまり生き方に変化はないです。今でもあれこれ手を出すし、それでいてできていることはさしてないです。

でも、周囲の反応はちょっと違って「大人になったね」と。

仮に「自分でお金を稼いで自分の暮らしを立たせている」というのが大人なのだとしたら、確かにizumikunは大人になったと言える。でもそれは、計算さえできれば、誰だってできる。小学生起業家がでてきたり、中学生デイトレーダーが億を稼いだりするくらいだ。計算と根拠にもとづいた予測ができれば、どんな年齢の人にだってその可能性はあり、できることだと証明されている。

では、彼らが大人か。といえば、そうではなさそうである。小学生であるが故に、大人顔負けと表現されたりする。大人に対しては使わぬセリフだ。では、大人とはなんだ。やはり年齢だろうか。

年齢だけなら、izumikunが彼らと出会った大学生の頃だって立派に酒を飲み、飯を食い、選挙にもいくほど自分を律することができる大人だと言える。でも、彼らは今になってやっと「izumikun、大人になったね。」という。

年齢でもなさそうだ。

大人になるって、なんだろう。

その答えは決まっている。

「どうでもいい。」

izumikunは、子どもとか大人とかどうでもいいって思ってる。子どもは、小さな大人と言われていた時代があったように、その境界線などないのだ。ただ、見た感じ小さかったから、「小さい」と形容したんだと思う。izumikunが子どもだろうと、大人だろうと、もっといえば、女だろうと男だろうと、LGBTQのいずれかであろうと、ストレートだろうと、なんだろうと、どうだっていい。

子どもを子どもたらしめているのは、社会だ。かわいいだけで育てると、そういう感性だけで生きる人になる。「語彙力なっ」で笑い合ってる20代をみることが多いけれど、少し心配になる。余計なお世話か。

大切なのは、この社会を生き抜く術を学ぶことであり、この世界を遊ぶことである。彼らと出会ってからの数年間は、それを学んでいたんだと思う。そして、izumikunはシェアハウスを始めることで、MEM.をはじめることで、恩返しを始めることで、観光の仕事をすることで、WEB制作をすることで、愛する人とともにあることで、それらを実践しているんだと思う。あらゆる教育、例えば、小学校6年、中学3年、高校3年、大学4年のなかに、そのエッセンスはちりばめられていたと思う。でも、それを編集して自分のものにできる人はどれだけいるかと思う。

大切なのは、
受験のための学びではない。
正解を探す旅でもない。

そうか。大人とは、どうでもいいことが何かを知っている人のことかもしれない。いや、そんなこともないか。ま、どうでもいいか。

今、子どもと言われている人たちには、どうか大人を目指さないでほしいと思う。どうか、職業を選ばないでほしいと思う。どうか、幸せであることに気づいていてほしいと思う。どうか、どうやってこの世界を生き抜くかを尋ねてみてほしいと思う。どうか、お金がどのように社会をめぐっているのかを知っていてほしいと思う。どうか、生活のための知恵を学んでいてほしいと思う。どうか、今していることに3度「なぜ?」と問うて欲しいと思う。青色で赤を表現してみて欲しいと思う。満ち足りている世界であることを知っていて欲しいと思う。夢も希望もなくてもいいから、ただ今という贈り物をちゃんと受け取っていて欲しいと思う。広告というものの性質についてよく理解していて欲しいと思う。人によってこの世界の歩き方は違っていて、どこを目指しているかでその違いは出てくるんだということを知っていて欲しいと思う。人の幸せとは何かを問うて欲しい。日本と世界の違い、文化というものを捉えて欲しいと思う。

もっとたくさんある。

ぼくは小さな大人を授かることはないけれど、彼らには、ちゃんと現実を生きていて欲しいと思う。大人でも子供でもなく、人間として。人間として、この世界を生きていて欲しい。

大人は目指さなくていいよ。その代わり、子どもたらしめられるな。子どもである自覚をもって子どもをするな。世を渡れ。ときに身を任せ、時に決断し、答えを出し、生み出せ。君たちを教育しているのは、この時代を生きたことがない人たちだ。この時代の教育は20年後の君たちの時代を生き延びられる教育じゃあないと思う。だから、ちゃんと考えて、ちゃんと学んで、ちゃんとこの世界を捉えて、現実をみて、生きていけ。

子ども(と呼ばれていた)頃、「社会に出たら現実を見るんだから、今のうちに夢見てたっていいわよ」って言われたことがある。だったら現実をみながら、夢をみさせてくれ。夢を見ながら、現実を生き抜く術を身に付けさせてくれ。なぜ、わざわざ同じ苦痛を感じさせるのだ。なぜ、現実という名の資産をつかって、我が子に知恵をあたえないんだ。

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子ども、そしてその子どもたちを育てる大人は、学んでいるか。

大人ってなんだろうな。

仕事とか遊びとか分けて考えたり、子供とか大人とか分けて考えたりしてるのが、大人なのかな。子供は遊ぶのがしごとだなんて大人はよく言っていたけど、そう思うと、境目がないことくらい、大人たちも知ってるってことだよな。

ふとした言葉の奥に、真実ってあるのかな。
大人になるって、なんだろうな。

P.S.
ボンさん、教えてください。