今、やりたいことはありますか?
学校(school)の語源は、scholarというラテン語ですが、これは「暇(ひま)」という意味をもっています。暇な時間をもちよって、人々が語り合い、学びを共有しあった。その場所を学校と呼んだ。現代では、そこに”時間割”とか”役割”とか”教室”といった機能をもたせ、税金というシステムをうまく組み込むことによって「場」を安定的に義務教育世代へ提供できるようになりました。
しかし、義務化されることによって、暇はもはや暇として認識されることはなくなりました。ぼくたちは、暇をもちよってこそ学び合える。しかし、学ぶことが先行していては「ぼくたちはそもそも”暇である”」ということを認知することは難しいのです。
義務となった学びは行き過ぎて、先生は「叱責」を当然のものとします。でも本来、学びとは「暇をもち寄って、分け合うもの」です。決して叱責されて得るものではないのです。
ぼくはこのことに立ち返って、やりたいと思うのは「暇であることを、享受する」ということです。そして副次的に、その中に学びを見出します。あるいは、愉しみを見出します。
例えば、編み物や彫刻。ニュージーランドのオークランド博物館でみたマオリ族の「カーヴィング(彫刻)」や「植物を編み込んだ服」などといった編み物に、とても感化されました。茫漠とした時間の中で、ああいった文化があったのだと思うと「暇であること」を、とても馬鹿にすることなどできないと思うのです。だって、それらを見るために、全土から人が来るんですから。しかも、国が管理している施設で展示までされている状態で。ね、暇ってすごいと思わない?
他には、ウクレレを弾いたり、ブログを書いたり、カーヴィングの本を翻訳したり、みかんを輪切りにして干してみたり。そういうことをしてみたいと思っています。
今月の18日に、大豆と米麹と塩という3つの素材から、味噌の仕込みもします。暇を享受して生きる。これは、人間的な営みを取り戻す、非常に重要なプラクティスなんだと思います。
ただし、このプラクティスは決して「ブラック労働のための癒し」ではないし「ストレスへの処方箋」でもありません。このことが腑に落ちる人は、もしかしたら多くないかもしれないけど、とても重要なことです。
ただ、暇を享受する。これが、今のぼくがしたいことの中で、最も関心のあることです。
何か、意識していることはありますか?
比較しないことです。他のことは「どうでもいい」とすることです。そういうことを意識しています。
例えば、暇を享受して「編み物を始める」としましょう。はじめは分からないことが多いので、覚えること全てが輝いて見えると思います。しかし、少し進み始めると、いかに自分ができて来たことが小さなことで、もっともっと複雑な技術がそこにはあることに気づきます。すると、途端に自分が小さく思えたり、これから進む道がとても長く辛い道のりのようにも感じます。そして、SNSの中に見える「おしゃれ」で「可愛く」て「美しい」ように見える発信(=デジタルな信号)が、できない自分に対して襲ってくるようにさえ思うのです。
ああ、自分はこんなにできないってね。
でもね、そんなことはどうでもいいんですよ。
あそこは誰々と仲が良さそうだ、とか。あそこはよく見せてるけど、実際はこうだ。とか。テレビのゴシップはどうでもいいくせして、自分と距離の近い人たちのゴシップ記事は気になるとかいう謎現象に気づくと「あ、これもゴシップじゃん。どうでもよくね。」
だって、ぼくの暇は、ぼくの時間であって、ぼくのものじゃん。それを「よーし!インスタ開いて、ゴシップを自分から見に行って、いろんな人を比較しまくって、嫌悪感いだこー!」なんて見に行く必要ないですよ。
そんなことに時間使っちゃダメよ。何が楽しいのよ、それの。
そんなことよりも自分を生きるの。最近は、そういうことを意識してる。
だからすっかり「あの人はこうだ。この人はああだ。」そういう言葉数がずいぶん減りました。身軽です。
あ、あと、むやみやたらに人の誘いにのらないことです。できないものはできないし、できないことはできない。やりたいことがあれば、それを優先したらいいし、食べたいなら食べたらいい。何か理由があって「行きたくない」と思えば、行かなくていいです。
そうやって自分の主張や判断基準をはっきりもって行動することは、意識しています。会社員が休めない理由の一番は「人の目があるから。」です。これを日常の友人関係に持ち込んじゃ、元も子もないです。仕事だろうが、私情だろうが、同じルールで生きていてはいけません。自分の扱いが同じになっちゃうからです。人の目があるから、休めない。なら、人の目を気にせず休んでしまえ。これを、仕事でも私情でも、実践する。
※こう書くと独りよがりなようですが、そうでもないです。助け合う時は助け合うので。どちらかだけじゃないですね、人間は。
最近は、そういう意識でいます。
未来に対する不安はありますか?
最近、なくなったところです。
もしかしたらまた出てくるかもしれないけど、今はないです。
この質問を自分に投げかけてみたんです。
「生まれてから死ぬその瞬間までの資産を全てもって生まれた人はいるだろうか。」
まあ、数えるほどはいるかもしれないけど、ほぼ全ての人は、そういう幸運のもとには生まれてないよなーと思う。
でもそのほとんどの人が、死ぬその瞬間まで「生きてる」ってこと。
つまりね「たぶん大丈夫」ってことがぼくの中で証明されたんだ。
だから、どんな値であれ
「収入ー支出=プラス」という条件をクリアできれば満点。
でなければ、採点時期を少しずらして(もう少し長期的にみて)プラスになれば満点。
つまり、赤点は絶対にない。
そして、言葉遊びの上では、ぼくの資産は減らないことが証明できた。
お金がいくらあったって足りないんだ。だとしたら、手持ちのお金がいくらであっても「満ち足りてる自分」を作っちゃえば、怖いもんはない。
お金に関して言えば、そんなもんですね。
人間関係でも、同じ。小学校を卒業したら、中学校のコミュニティがあるし、卒業すれば高校。それが終われば会社や大学。そのあとはあんまり「決まったコミュニティ」ってないけど、時期を過ぎれば去っていく人もいるし、寄ってくる人もいる。
去ったことに悔やむ必要はないし、来たことに極端な喜びを示す必要もない。人は訪れ、去ってゆく。この繰り返しの中で、僕達は生きている。誰かにとっての自分もまた同じこと。
だから、人に関しても、不安はない。その時の充足を愉しむ、それが全て。
ただ、健康についてはちと不安が残る。というのは、ぼくには持病があるから。季節の変わり目には体調を崩しやすいし、冬場は気管支がより狭くなって咳き込みやすくなったり、痰が絡みやすくなったりする。
体力がないから、ちょっと頑張りすぎるだけで、体調を崩したりもする。呼吸をより巡らすために心臓はたくさんがんばるけど、心拍が上がれば、死もどんどん近づく。人の心臓は、拍動できる回数に限界があるからだ。僕達の体は、消耗品なんだよ。再生するからそうは思いにくいが、多くの人はこれを「老化」と呼ぶ。
だからもっと体調を崩しやすくなるし、もっとしんどくなっていくんだと思う。その不安は大きい。病院代は生活を圧迫すると思う。生活を圧迫すれば頑張らざるをえなくなって、また病院代がかさむ。この悪循環に対しては、幾許かの不安がある。
だからこそ、支出を減らしたり、充足感や幸福感のハードルを下げたりしておくのはとても重要。いざというときに助けとなるはずだ。
最近使ったお金について教えてください。
最近使ったのは、
- 駐車場の契約
- プリンター
- POSレジ導入
このあたりです。
どれも「効率化」のためです。
「なんだ!さっきは暇を享受するとか言ってたじゃないか!何が効率化だ!」
と、思うかもしれないけど、ここは両立するものです。
さっきも書いたように、ぼくは体調を崩しやすく体力がありません。だから、作業量が多いと、疲れやすいです。一度疲れが溜まると作業効率はグッと落ちます。すると成果が見えないので、意欲も落ちます。このサイクルが昨年いっぱいまでの流れでした。
しかし、少し考えを変えました。
「効率化」にお金を使うことで、体力を温存しよう。そういう意識になりました。そうすると結果として長期にわたって安定して体を使うことができて、成果を出すことができるようになります。ぼくの大好きな工務店さんが「疲れる前に休むと、疲れないよ。」と言っていたのを思い出しました。
駐車場の契約は本当にしてよかったと思ってます。今まではお店から自宅まで歩いていましたが、自宅近くに駐車場を借りました。往復で30分近くかかっていた道のりを車で往復することで、毎日25分時間が生まれました。駐車場が4,000円だとすると
時給1,000円で計算してみると4時間分のコストで、25分*30日=750分=12.5時間の時間を得ることができたわけです。差引すると8.5時間の自由を得ることができたわけです。また、実際に使ってみると、帰宅してからの家事意欲が湧いたり、お店の仕込みが楽になったりと実感があります。
他にも、プリンターを購入することで、自宅で印刷ができるようになります。これまでコンビニに足を運んでいましたが、その往復の手間と割高な印刷代を支払うコストを回避できるようになるでしょう(届くのは2月中だそうですが。)
もう一つPOSレジの導入は画期的でした。これまで、すべて紙のレシートに手書きで注文を受けていましたが、すべてiPadで、しかも会計したものが全てデータに集計されるようになりました。登録の手間はあるものの、その後の管理が非常に楽になりました。また、お客さんにとっても支払い方法に対応できるため、利便性も増したと思います。
ここでは、このクレジットカード支払いのコストとかにお金を使い始めました。でもこれは、この手数料を払っても、データの管理を簡易にするのは、確定申告等のやりやすさにもつながる良い選択だと思いました。
効率化することで、仕事の日であっても仕事終わりのパートナーと過ごす時間に「落ち着き」を感じるようになりました。また、仕事終わりにブログを書いたり、編み物をしたりといった時間をするときも「まだ元気あるな。」と思えるようになりました。つまり、より時間を愉しめるようになったわけです。
自分でやればいい。そう思いがちだけれど、貧乏暇なしという言葉が表すように、発想は逆です。自分でやることでお金は使わないけど、時間は無くなるのです。でもぼくが今取り戻したいのは、時間。そのために使えるお金は使うことにしています。
それを端的に「効率化」と呼んでいます。
これからお金をかけたいなーと思うものは、
- 保温できる機器
- 分別できるゴミ箱
- 備品を管理できる倉庫
- 内装設備(ここはまだ構想中)
- イベントカレンダー
- 焙煎機
- オーブン
あ、あとこれはちょっと試作なのですが、紙のメニュー表は準備せずに「QRコード」で読み込むと、ホームページのメニューが見られる。というようにするのも面白いかなと思っています。メニューの変更、金額の変更をすぐに反映させやすいので。
ここはもう少し時間をかけて実験してみようと思っています。
思いつきで一人Q&Aしてみました。
それでは今日も素敵な1日を〜!