いずみです。
いずみ【古民家暮らし / DIY / 畑 / ブログ】
お仕事:MEM.喫茶Tokoname店主
急須を使って淹れる珈琲と菜食のごはんを提供しています。
時々、陶芸家、大工、藍染職人、お菓子屋さんのアシスタントもします。
ボランティアとして「家弁タイムズ」という子育てファミリーに(基本、無料で)お弁当を届ける活動や、子どもも大人も隔てなく対話する時間「ダイアローグ」の運営をしたりしています。
悪い言葉が口をついてで出るとき。
安心してる相手だとつい「は?」とか「ちょっと静かにして。」とか、悪い言葉が考えなしに、口をついて出てしまうことはないだろうか。でも、同じ安心してる相手でも「ありがとう」「今日も素敵だね。」と優しい言葉をかけられることもある。この違いは、なんだろう。どう思いますか?

仕事と家庭の両立がむずい。
自営業というスタイル
自営業というスタイルをとっているのだから「休み」などという概念はない。大手の飲食店のように、自分がシフトで入ったときに提供するものを、前のシフトの人が仕込んでくれているわけじゃあない。自営業で飲食をやるというのは、すべてを自分で担うということ。
だから、お店の営業が短かいと言われようとも、その短い営業をするために、それ以上の時間を使って、仕入れや調理だけじゃなくて、事務作業や事務手続き、地域との関係や、お見せづくり、メニューの考案、経営のブレスト、会計処理、在庫の管理、、、やることは山のようにあるわけだ。
だから、仕事と生活があいまいになって、自分で「こうしよう」と決めなければ、ずっと仕事をすることになる。それはそれで悲しいが、自営業というのは、得手して「そういうもの」という認識がぼくの中にはある。
アリーはそんなこと思ってない。
ここが非常に難しいところだけれど、アリーには「働いてなんぼ。」という意識がない。働けば働くほどげっそりしていくのをみると、この人は本当に働きたくないんだと思う。だから、いずみの働き方につきあって日常を過ごしてくれる時は、本当に申し訳ないと思う。自分がもっと稼げていたなら、もうちょっと一緒に何の気なしに過ごせる時間があるのになあ。と思う。
そうは言っても「養ってもらいたいなんて思ってない。」という。だから、働いた方がいいとは思うのだけど、彼女はいつも早く寝る。健康で良いのだけど、やるべきことはもっとあるんじゃないかと思ったりもしている。それでよく喧嘩するのだけれど。
今は、とにかく動くしかない。
仕事と家庭の両立。とはよく聞くフレーズだし、もちろん整えたいのは山々なのである。そうかといって、例えば、仕事は仕事だけにして、キッパリ家庭は家庭と分けてしまったとする。そうすると、仕事での新しい学びは小さく、できることは増えていかない。なぜなら、仕事でのことだとしても、自分の時間で「勉強すること」や「復習しておくべきこと」や「予習しておくべきこと」や「準備しておくべきこと」があるから。つまり、仕事と家庭ではなく「仕事」「自分の時間」「家庭」が三権分立して、相互関係を持っている必要がある。
この「自分の時間」が「家庭」とイコールで考えられていて、家庭が脅かされている感じに見られるから、非常に難しい。今はとにかく動くしかない。という状況で、制限されることはなかなかどうして難しい。
よく「現状維持は、後退。」と言われる。ぼくにとって、これは「本当のことだな」と思う。周りが進むから、相対的に遅れる。その実感はある。あくまで相対的なものであって、絶対的なものではない。だから大丈夫、と初めは思っていた。でも、絶対的なものよりも、人というのは「相対的な評価」を重く見ている。更新していないブログよりも、更新しているブログの方が「読もう」と思えるはずですよね。つまり、動くしかない。たとえ、12時過ぎようとも「更新するぞ!」と思っている。
*寝ちゃう時は、それはそれで。
家庭のことをないがしろにしたいわけじゃない。
たくさん動く時に「家庭を蔑ろにしている。」と思われるかもしれない。でも、それは違うと思う。健やかな家庭をつくるために、家庭の時間を犠牲にして、仕事をするなんて本末転倒じゃないかっ!と思うかもしれないが、それは理想を押し付けすぎていて、現実の話には遠い気がする。現実としては、本当に生活を維持するために必要なお金を得たいからたくさん働いている場合もあるし、後々の仕事に繋がるから(=生活を維持させていくのに効果があるから)やっている場合もある。
はじめから、どちらも器用に回せるのであれば、それでいいけど、みんながみんな器用なわけじゃない。だから、もう少し丸くみてほしい。
確かに、家で一緒に過ごせたら幸せだよ。確かに、美味しいもの食べられたら幸せだよ。でも、そればっかりやってたら、続かないよ。だから、働いたり、人と繋がったりして、自分たちが得たいものを得ながら、生活していくんよ。むしろ、誰かのために働くことそのものに「幸せ」を感じていくんだよ。そういう見方からすれば、仕事も家庭もないんだよ。と、思ってはいるが、そんなことを話したところで
悲しい。
この一言で、ノックアウトである。
仕事がいつまでもある。
ぼくは父の背中を見てきた。父はいつも、家族みんなでご飯を食べた後、そのまま事務所に戻って仕事をしていた。仕事という時もあるし、Amazonの買い物の時もあったみたいだけど、目を通していなかった資料に目を通したり、事務処理をしたりしていた。
自営業というのは「そういうものだ」と思っていた。だから今、やることが無限に見えてくる。そして、それをやるたびに「実際に良いものを作るのは、言うよりも断然難しい」とわかる。だから、やれる方法を考えて、1つだけ変えられる今日を目指して、試行錯誤しているわけだ。
今のMEM.であれば、
- 商品を確定させる
- 必要な備品のみを管理する(不要なものは撤去)
- 提供の導線を改善する(道具も揃える)
- 商品の導線をつくる
- メニュー表に案内を出す
- instaに商品リンクを貼れるようにする
- 焙煎豆の予約販売に注力する=豆の販売をしている認知
- 焙煎ワークショップと珈琲講座の準備をする
- 畑を整備する
- 家弁タイムズのノートに「使い方」を追加する
- インスタグラムのハイライトに「営業日」を追加する
- インスタグラムの投稿にメニューを紹介する
- 大人の勉強夜会を自由参加型から「テーマ型」へ移行する
- 出店道具の一覧表を作成して、持ち出しのチェックリストを活用する
- 年に数回、大きな出店に行く(=応募する)
- 家弁タイムズの「募金者」向けのお知らせ方法を確立する
- 家弁タイムズのクラウドファンディングを準備する(材料を集める)
- MEM.のマニュアルを作成する(雇える体制をつくる)
- クッキーなど、サブの商品をつくる
- 高単価の商品をつくる(講座/ギフト/大量発注/講師など)
- ホームページのUIを変更する(イメージはある)
- MEM.まわりの緑の剪定
- 看板づくり
- ブログを書いて発信する
やることなんて山のようにある。もっと外に出て珈琲や料理の勉強だってしたい。
この一つ一つは「仕事」であり、プライベートの時間なんてない。と思って終えば、そんな苦しい生活はない。だからぼくは、あんまりそう言うふうには考えない。やるべきことはたくさんある。
人の幸せつくってなんぼ。
その一つ一つは「売り方」ということもできるからもしれないけれど、それは事業者側の一つの側面でしかない。もっと本質的なところで言えば「ぼくは、あなたは幸せにできるものを持ってる!使ってみるかい!?」と、言葉で言うのか、インスタで見れるようにするのか、ブログからアクセスできるようにするのかー、の違い。ただそれだけのことで、究極、自分がやってることで人が喜んでくれたらそれでいい。その上で自分の生活がより良くなればいい。
ゆくゆくは、自分が働いているとは思わずとも、生活が安定し、人も幸せにできるようになってる。そう信じているからこそ、今はただ動くしかない。だって動かないと、何が人を幸せにしたり喜んでもらえたりするか分からないから。
でも、一番近くにいるアリーのことが幸せにできてない矛盾がある。仕事と家庭の両立がむずい。アリーが幸せなのは、一緒にいること。でも、一緒にいると、仕事ができない。仕事ができないと、人を幸せにできなくて、対価がいただけなくて、生活が苦しくなる。苦しくなると、生活ができなくなるから、働く。働くと一緒にいられなくなる。だから、一緒にいたいから、働く。でも働くと一緒にはいられない。なぜなら、一緒にいると、仕事ができないから。
だから、仕事をする自分を、許してもらわなくちゃいけない。ぼくに足りないのは「なぜ、今こんなに働かなくちゃいけないのか」ということであり「どこに向かって生きているのか」を話すことじゃないかと思う。
アリーはいつも、ぼくの体を心配してくれる。それはありがとうと心から思ってる。でもぼくは、人よりも体力がないくせに、人よりも不器用だから、何をやるにも時間がかかる。時間がかかるから、夜遅くまでやることになる。だから、やるしかないと思ってる。でも、やると、体に支障が出ることもわかる。だからアリーが言いたいこともわかる。それでも。今やらなくちゃいけないことでもあるから、頑張る。
そのことをもっとちゃんと伝えなくちゃいけない。そして、アリーの「体を大事にしてほしい。」「一緒にいる時間をとってほしい」その気持ちもちゃんと聞いて、手を止める時間を作ることが、ぼくにも必要だ。
おわりに:
仕事と家庭の両立がむずい。
以上、いずみでした。
それではみなさま
今日も素敵な1日をー。