所有と共有について

どうも、izumikunです。

今日面白い発見をしました。

仕事が終わってから「そうだ、昨日トマトもらい忘れたから、取りに行こう」と思って、目的地まで歩いて行ったんです。そしたら土砂降りの雨が降ってきてね。で、その道すがら、家族6人くらいに遭遇したんです。大きな男の人、子供が二人に、ベビーカーを押してる大きな女性に、あと二人。みんな傘をさしていました。そのうち子供が言いました。

「あの人、傘ないよ」

と。

izumikunはずぶ濡れになりながら、目的地へ向かいました。

そして思いました。

「もし仮に、自分が傘を持っていて、傘を持っていない人がいたとしたら、自分はその人に傘を差し出すだろうか。」

と。

自分がずぶ濡れになるかも。かぜひいちゃうかも。寒いかも。熱が出るかも。傘をまた買わなくちゃいけなくなるかも。

と、あれこれ考えて、結局思ったのは「やっぱり、共有って所有と一対になっている概念だなあ」ってこと。

共有されているものがあって、これ欲しいと思ってとった果実は自分のもの。それを繰り返しているうちに、その木ごと自分のことのように思えてくる。これを領地と呼んだりする。つまり、所有である。そして、所有しているもののうち、満ち足りているものを他に分けたりする。これが共有である。でも、なかなか不利になることはできない。

自分がずぶ濡れになってまで、傘の所有権を手放す理由がどこにある。自分は安全に傘を指していることを誰も責められやしない。でも、共有することを100としている価値観の人でさえ、傘を手放せないことも事実として残しておいてもいいと思う。

雨に濡れてリスクが最大化しない程度のことで共有できるのが一番いい。

izumikunは、どうするかな。傘を渡すかな。スルーするかな。

渡す人でありたいな。

では。