ぼくたちは、周りが使っている言葉でできている。

最近、そんなことを思います。

どうも、izumikunです。

よく聞くのは、

  • いやあ、ほんと二極化が進んでるよね。
  • 自分の好きなことして生きていきたいね。
  • ありのままの自分でありたい。
  • 自由な暮らしがしたい。
  • いやあ、旅したいなあ。
  • 私も、フリーランスになりたいんです。
  • やめる理由はいくらでもあるけど、やる。
  • マインドを変えなきゃ

こういう言葉をよく聞きます。

すてきな言葉たちだと思う。

でも、それは本心なのか?という問いを立てたい。
「それは、自分の言葉なのか?」
そういうフラッグを胸の内に立てておきたい。

自由に生きていきたい人たちは、会社のように周りに合わせて生きるのは嫌と言ったりする。これについてizumikunはあまり共感していない。周りに合わせて生きるのは、(誰かから見て)自由に生きているときであっても、変わらないから。嫌なのは、周りに合わせるということの他にあるということです。それについては今回は控えますね。

とかく、自由に生きていきたいっていう人は「いやあ、それじゃあ生きていけないよ」っていう人とは一緒にはいられなくて、同じ思想をもった人たちとのコミュニティをつくっていく。自由に生きていきたいって言葉が飛び交う場所でこそ、自由でいられると思うからです。

つまるところ、ぼくたちは、周りが使っている言葉でできている。自分が使っていることが周りと共鳴し、共鳴する周囲の中で自分が生かされていく。これを逆に捉えれば、周りが使っている言葉こそ真実と思い、自分を動かしていることもあるということ。つまり、自分の言葉じゃないことを、まるで自分の言葉かのように使っていることもあるってことです。

その言葉は誰のものか。
もっというと、それはどんな文脈でこそ、生きてくる言葉か。

それをちゃんと分かっていたほうがいいなあと思います。
それでは。