廻船問屋瀧田家について考えてみた。

どうも、izumikunです。

廻船問屋って口で言ったら必ず「海鮮丼が食べたい」と思うのは私だけでしょうか。ヴィーガンもベジタリアンもしてきた人間だけど、やっぱり定期的に食べたくなるものって魚だったり肉だったりするのは体に染み付いている文化というものなのでしょうか。。。

はい。

というわけでizumikunが今働いている「廻船問屋瀧田家」について書いてみようと思います。(※ぼくは今、展示工房館と瀧田家のどちらでも働いています。他にも声かけていただいています。生かされてて本当に本当にありがたい◎)

書こうと思った理由

今日ね、廻船問屋瀧田家(以降、瀧田家っていいますね)での初めての一人出勤でした。ひと月の中で、展示工房館で働く日数の方が多いから、瀧田家で働くのは、かれこれ1ヶ月ほど前で、今回は3度目。はじめの2回はスタッフさんが一緒に働いて教えてくれていましたが、1ヶ月も立つとあんまり覚えていませんでしたね、ちょっと困りました。

とはいえ、なんとか出勤後すぐの業務を終えて、いよいよお客さんを迎えるというタイミングで「あれ?どうしよう。」って思ったんです。それが、これを書く理由となりました。

ここって、どんな施設なんだっけ?

これが一番大きな疑問です。

これを具体化すると以下の通り。

  1. 瀧田家と常滑のつながりが薄く見えてる。
  2. 何を伝えたい施設なんだっけ?
  3. 伝え方の選択肢って何かあるかな?
  4. そもそも観光施設としての役割って?

瀧田家と常滑のつながりが薄く見えてる。

廻船問屋滝田家で届けたいメッセージって、市の重要有形文化財になっているから、常滑の産業にとても貢献してきたっていう文脈があると思っていて。でも、その繋がりを示す根拠って「瀧田家は、廻船業で隆盛をきわめて、常滑焼や知多半島の特産物を江戸や四国の方まで運んでいました」みたいな1文だけで担保しようとしていて、200円払って入場するお客さんからしたら「へー」ってだけだなと思っていて。

施設案内をするにしても「これだけのことしか分からないから質問されても困るし、ガイドしにくいなあ」って思ったり。常滑で土管生産などが隆盛を極めたのはよくわかるんだけれど、廻船業がどれだけ町に貢献してきたかって「全国に広めました」っていうのは分かる。分かるけど、そりゃあ運送業ならそうだよね。って話で、どのくらい、どんな風に貢献してきたとか、そういうことが全然分からないんです。

入り口にも「こんなに資料が豊富な旧家はなかなかありません!」的なことが書いてあるけれど、全然たりてないと思う。笑 日本福祉大学の研究室みたいなところの協力もあるようなので、もっとその先生からお話を聞いて、それを展示内容に反映させられたらいいんじゃないかなって思ったりしています。

とかく「常滑焼や知多半島の産物を運送することによって、人々の暮らしを支えてきた」っていうことが伝わらないことには、常滑のど真ん中にあるってことに納得感が全然ない。なので、そのための資料を集めなきゃって感じかな。

例えば

瀧田家が廻船問屋として運んだものが運んだ先でどのように使われていたか。しかもそれが、今もその地域で顕著に見ることができるといい。そうすると、瀧田家を出発点にして、その地域のことを想像してくれる。行ったことある人はより具体的に、行ったことない人でも「瀧田家で知ったのをきっかけに、調べてみたり考えてみたりする」ってことになる。そうして、例えば「江戸の〇〇神社に瀧田家が運んだ土管がある」ってなったら、江戸の〇〇神社に行った時に土管を見て「これ、常滑の廻船問屋が運んだんだねえ」って、時間的・空間的な旅を味わえると思うんだよな。そういう瞬間のために、瀧田家と常滑、そして、常滑と輸送先のつながりを伝えることで、より廻船問屋を残す意味を伝えられるんじゃないかって思います。

何を伝えたい施設なんだっけ?

「廻船問屋瀧田家」

これ、めちゃくちゃいい感じの名前になってると思うんですけど、ここには2つの意味があると思っています。廻船問屋と瀧田家の2つです。

有松の古い街並みにある「旧〇〇住宅」みたいな感じで『建物の外観』『建造物の構造』が今にはない貴重なものであるっていう理由で保存していて、それ自体か街並みを作って、訪れる人からは時代を町ごと味わえる設計になってる。

(これがいいかどうかは別として)

ただ、廻船問屋瀧田家の周辺は似たような施設があるわけではなく、この施設単体で魅力を伝える必要があると思うんだけど、いまいちできてない感じがする。200円。たった200円の入場料でさえ「損しそう」「入る必要ある?」っていうくらいなんです。今日の入場者は両手で数えられるくらい。(具体的な数字は言えませんが)

で、今の展示内容的に運営が伝えたいと思っているんだろうなーっていうものって、

  1. 廻船業の隆盛
  2. 建造物や道具の貴重さ
  3. 瀧田家のお家柄の話

この3つくらいになると思うんだけど、果たして、どこをメインにして、どこの部分でメインをより強調するのかが、今はない。全部同じように伝えている。それゆえに、その貴重さとか「なぜここで廻船業がある必要があったのか」「今の常滑の町づくりにどれだけ貢献していたか」みたいなものが全然伝わっていないと思う。

廻船業の隆盛って、あんまりイメージがわかないですよね。今は、インフラがむちゃくちゃ整ってしまっているし、わざわざ運送業について考えることもほとんどない。だからその労苦が身にしみて伝わらない=その凄みみたいなものを感じにくいわけです。現在にリンクするものがないのが難しいところ。

建造物や道具の貴重さは、正直あんまり伝わらないと思う。理由は古民家カフェや古民家を使った施設がたくさん立っているので、みんな見慣れてる。200円払って入る施設として「こんなに古くて、こんなに貴重ですよー」って言っても全然魅力は感じられない。なぜなら見慣れてしまっているし、古い家ってこうだよね、そりゃそうだよね。って感じだと思うから。

あと、瀧田家のお家柄の話があって、特に、瀧田あゆちさんの写真や特集を組むことが多いんだけれど「いや、あんた誰?」が正直な感想じゃないかと思う。瀧田家の人たちがみんな「東大卒」なんだけど、学歴ってそんなに気にする必要あるかな?っていう価値観も広まってきている現代で「え、東大!?ヤバイね、展示みよっ!」ってなるかな。笑 これ、極端な考え方だと思うけれど、今は、入り口にそういう謳い文句をしてるから「東大」っていうキーワードを使って「すごいでしょ?ここの人」ってアピールしてるけど、入場しても、その凄さは伝わらない。

つまり、、、なんの施設なん!?

が、izumikunの正直な気持ちです。

展示工房館であればいつも案内をするのにお客さんに声をかけたくなるんだけど、今日は全然ダメだった。概略こそ話せるけど、お客さんに出している情報くらいのものしか提供できない。わざわざ話に行く価値を担保できないんです。それくらい、伝える内容が薄っぺらい。時代性や地域性を伝えられないんです。これは困りました。

伝え方の選択肢って何かあるかな?

これを考えるためには、展示されているものの情報を整理する必要があるなあと思っています。izumikunが掛け算できそうだなと思った展示しているもの/機能/意味。これで整理して書いてみようと思います。

展示しているもの機能意味/転用
あゆちが女性初めてのANA管理職員瀧田家の家柄を伝える女性の社会進出の先駆けをしていた。女性としての力強さ。空港との関連。
いくは、日本女優第1号瀧田家の家柄を伝える女性の社会進出の先駆けをしていた。女性としての力強さ。女優や演劇との関連。
水琴窟で音が聞ける日本文化を音で伝える常滑焼を使って音を楽しむという文化がある。敬一郎さんの笛、ASMRとの関連。
当時の法被が着れる常滑の地域性を伝える現代から時空を超えてトリップする感覚。写真スポットとして転用できそう。
廻船問屋の功績と、紡績業への転換常滑の地域性を伝える常滑や知多半島の特産を全国へ伝えた。時代を捉えた経営手腕にヒントを得る。
休憩所に並んでる顔写真集常滑の地域性を伝える財界や国宝など、常滑人の生き方に学ぶべき人生のヒントがある?↑に続き経営的な転換ができそう。SONY盛田さんも常滑出身。

ちょっともう眠くなっちゃったけど、今のところ思いついてるのはこんな感じ。(←丸1日ほぼ受付に座ってただけだけど、考えれることって案外あるもんです)

ぼくは、ここで得たいくつかのエッセンスを「無料化とメニュー(VIP)の設計」「演出」「ガイド」「イベント」「教育」の5つの取り組みで実現させていけるんじゃないかなあって思ってるんだけど、ちょっともう眠いし、これは、写真とか使って書きたいから、また今度。

そもそも観光施設としての役割って?

観光施設って、別にそれ自体で経営がうまくいってなくても(つまり、利益があがらなくても)運営していけるとは思います。だって、行政が管理していて、余程ではない限り、取り壊すなんていう発想にはならないから。

だとすれば、今ある観光施設ができることは、この施設を通して、散歩道を巡回する人をふやして、またはより濃厚に常滑を楽しんでもらえる仕掛けをつくって、お散歩する理由を観光する人たちにつくって、1日を充実して楽しんでもらえるようにすること。つまり、周囲にある個人商店に足を運んでもらえるように工夫すること。

施設そのものに魅力を見いだせない今は、そういう取り組み方をするしかない。単体で利潤を追求しない代わりに、周囲が魅力的になるように仕掛ける。総じて常滑にくる観光客数は増え、財政は安定につながる。そうなれば、瀧田家だけで利潤を追求するよりももっとたくさんの人に常滑を伝えることができて、瀧田家の価値も同時に上がっていく。その瞬間に立ち会うには、今のままではいけないと思う。

ハードを変えること、ハードを変えつつ、スタッフのソフト面を変えること、200円の利潤を0に変えること、これはなかなか心理的なハードルの高い取り組みだと思う。もしそうならば、まずは個人が変わる。個人が変われば、きっと何かが動く。これは期待ではなく、世界とはそういうものだということを知っているから、言える。

izumikunは瀧田家にいるときは、こうします。

  • 常にチケットを手売りします。
  • いつでも案内できる体制をとります。
  • ハード面を整備する前に「ここはこうする場所」という認知を広めます
  • 次の目的地の提案もします。

今、デザイン性のよさがむちゃくちゃ重要視されているけれど(こんなことwebデザイナーかじりが言っちゃまずいかもだけど)、正直、デザインって「後付け」だと思ってる。

そもそもそういうものがなくても、ぼくたち生きてきたじゃないですか。人情で生きてきたじゃないですか。ハードが整ってきたのは、高度成長期のあとじゃないですか。つまり、何がなくとも人は生きてきたし、その頃から「観光」というものはあったわけです。ついついデザイン性の高いお店とか街並みを見ると「わあここはすごいなあ」って思いがちですけど、そうじゃない。どんな場所だって、そこを形作ったり運営させているのは、必ず人なんです。

人が動くことで、それらをすべてになっていたんです。その後に、デザインというものが人の動き方を変えたり、無駄に動かなくていいようにする「道具」として活用されてきているわけです。今は、デザインの良さを追求することだけにかまけて(見た目の良さ重視)、人の良さがかけていることもあるのかもしれません。

izumikunは、ソフトに行きます。そしたらハードはついてくると思うから。人の納得感の集合があって、ソフトはハードへと変わるんだと思います。

というわけで、また明日。
(全然関係ないけど、1日ブログサボったら一気に見る人減ったから、毎日更新って大事だね。)