ヴィパッサナー瞑想とアーユルヴェーダ

ヴィパッサナー瞑想の話

大学を卒業して就職した仕事を7ヶ月で退職して、持て余した時間に「そうだ、瞑想でも行こう」と思い立ち、ヴィパッサナー瞑想センターへ10日間の瞑想修行に行った。友達が参加していたこともあり、なんとなくそういうものもあるかあと思っていたことを、自分で試してみたくなった。あの十日間は総じて「観察することのみ」に集中する十日間だった。

昨日、パートナーとお散歩がてら夕暮れ時の公園へ車を走らせ、夕日を眺めたり、芝生を裸足で歩いたり、桜を眺めたりした。友達が作った陶芸作品「SORA&A LBA」に腰をかけて、少し思いに耽った。

その帰り道、大学生の頃によく遊んだ公民館へ出掛けてみると、事務室の窓から「お久しぶりです、元気してましたか?」と声をかけてもらった。覚えてくれていたことが嬉しかった。

大学のサークル活動先だった公民館の事務員をしていたのが、まさにその人で、一緒にツリーハウスを作ったり、青空キッチンでみんなでピザを食べたりなんかした。懐かしい記憶。彼との共通点はもう一つあった。噂に聞いていただけだったけど「ヴィパッサナー瞑想に参加した」という共通点だった。

彼にそのことを尋ねてみると「もう数年前だけどね、なかなか続けるのは難しいけど、今でも時々やっているよ。」といって、瞑想用のアプリがあること、サピエンス全史を書いたユヴァル・ノア・ハラリがヴィパッサナー瞑想を毎日2時間やっていることを教えてくれた。

すっかりお店のことや、パートナーとのことで慌ただしくしていたのもあって、瞑想から一番遠いところに身を置いていたけれど「瞑想する時間をつくるのもいいか。」と思った。人と会うのは、そういうきっかけをくれるから「たまに」すると、とてもよい。

youtubeで検索してみると、いくつかそれに関する動画が出てきたから、みてみることにした。

  • ヴィパッサナーをする目的は、現実を明確に見極める訓練のため。=現実をありのままに観察し、受け入れる。
  • 宗教的な営みではない。
  • 自分の呼吸を観察すること。
  • 驚いたのは、自分が10秒も観察を続けられなかったこと
  • 18年間、瞑想を続けている。
  • 痛みを感じたり、物思いに耽ったり、そういう自分も観察して、自分を知っていく営み。
  • 一番の恩恵は、自分の心と体の「日常的な反応パターン」が分かること
  • 問題の根本原因は、思い込みを真実と捉えていること。
  • 苦しむかどうかで「実在物」か「想像物」かどうかを判別する
  • コース受講以来、朝と夜に1時間ずつ。毎日2時間の瞑想を続けてる。
  • 1960年代から欧米で盛んなヴィパッサナーにはミャンマー由来の2つの系統がある。ウバキン氏かマハシ氏
  • どちらも「気づき」の瞑想
  • 一瞬の油断もなく、現実をありのままに観察すること
  • 心がすぐに違うことを始める。
  • 呼吸の観察=シンプルだけど、難しい。
  • 次のステップは、体全体の肉体感覚の観察
  • そして、心と連動していると理解できる。
  • 瞑想は、特別な体験をするものではない。
  • ただ、感覚を観察し、日常の平凡な体験を理解するものです。
  • 人の力の源は、空想をする力と空想を信じ込む力。=チンパンジーの世界にそれはない。
  • 仏教は、幸福とは何か?を最も考えている宗教
  • 電極をつけたり、スキャンをして、瞑想中何が怒っているかを研究している。
  • 問題なのは「感覚や感情とは、つかの間の”振動”に過ぎない」ということ=波のように刻一刻と変化している
  • 仏教によると、苦しみとは「無意味だと感じること」ですらない。その根本原因は、束の間の感情を追い求め続けてしまうこと。
  • 1960年ニューエイジ運動の思想は「幸福は外的な世界とは無関係だ」と主張する。幸福は内側の感情に起因する。だから、外的なものを求めるのはやめよう。自分の心が求めているものを見つけよう幸せは内面からはじまる。
  • これはブッダの思想に近い。でも、ブッダは「幸福はない的な感情とも無関係なのだ」と。
  • 外的な成功を追い求めるのを控え、内的な感情を追い求めることを控えること。
  • ものごとの「うつろいゆく性質」を理解していること
  • ドラッグは広がる。理由は、AIや機械学習が発達し労働者が不必要になることで、労働市場が悪化するから。
  • 突然暇になることで、動画や幻覚キノコやゲームに依存する。
  • 至福感よりも退屈感から探求することが重要。
  • 退屈感から逃げていてはいけない。
  • 身体障害とうまく付き合える人は「生きる意味」について深く考えていない。
  • 「生きる意味」よりも「日常の問題」の方が取り掛かりやすい
  • 大きな視点でいると「生きる意味」を見つけることが叶わず、人は鬱になる。しかし、大きくみたときに「生きる意味などない」と悟ることができれば、鬱になるなんてこともない。

自分が10日間の体験をした時のことを、思い出した。

  • 自分の感覚をただ観察すること
  • 現実をありのままに観察すること

この2つ、今一度、心に留めて過ごしたいなと感じました。

それと、パートナーがユヴァル・ノア・ハラリの「ホモデウス」を上下巻もってたので、読んでみてます。

アーユルヴェーダの話

近所の八百屋さんに足を運ぶと、友達がその友達とお話をしていた。ヤッホーと挨拶をして、お話に参加。アーユルヴェーダについての話をしていたようで「自分のパートナーの本棚にあった言葉だ!」と思って、興味深く聞いていた。ざっくり聞いてみるといくつかの特徴が見えた。それをさらにざっくりまとめると、

  • アーユルヴェーダとは、東洋の医学でもあり、予防医療でもあり、食事法でもあり、人生哲学でもあり、生きることそのものでもある。

ということらしい。

その中に瞑想やらヨガやらマッサージやセルフケアなんかも含んでいそうな感じがしたので、ヴィパッサナー瞑想へのアンテナを張ってる自分からすると、少し興味が湧いた。今はまだユヴァル・ノア・ハラリのホモデウスを読んでいるので、アーユルヴェーダについての本を読むことはできないけど、youtubeで簡単な解説動画があったので、ざっくり理解をしてみることにした。

ざっくり言うと

  • アーユルヴェーダというのは、サンスクリット語で生命(ayus)科学(veda)を意味したり、生命を(ayus)楽しむ(veda)と意味したりする。
  • 生命はすべて、基本のエネルギーで成り立っている。これをドーシャという。
  • ドーシャには3つの性質があって「ヴァータ」「ピッタ」「カパ」という。
  • ヴァータは風を、ピッタは火を、カパは水を表して、それぞれに体質や体格などの特徴が分類されている。
  • この3つの性質のバランスが人によって異なる。ヴァータの性質が強かったり、カパが強かったり、それぞれにあるバランスのことを「ドーシャの特性」といったりする。

そうです。

これによると、5000年以上の歴史のあるものらしい。しかも、インドの方は西洋医学を信じている人も多いとのこと。細かいことみると実際はわからないけど、そういう人もいるんだろうねえ。

冬至から体をより軽くしていくシーズン。土瓶を使う白湯を飲むと、とても良いそうです。

アーユルヴェーダの五大元素である土、水、火、風、空を全て満たすのだとか。

WHO(世界保健機関)でも重要な位置付けになってるんですねえ。

そういうわけで、今日はここまで。
素敵な1日を🌿