お金の勉強は、人生を豊かにすると思う。

やってみたことのない1日を、生きてる。やったことがないんだから、間違うことだってある。それを「失敗」と多くの人は呼ぶけれど、それは決して失敗とも言い切れない。やったことないことをやって正しくやることのほうが難しい。正しく27歳を生きた人はいるだろうか。これから先、正しく30代、40代を歩んできた人に話を聞ければきっと、よりイージーゲームで人生を進めていけるかもしれないけれど、どうにもいろんな大人の話を聞いていても「正解を歩いている人」は見つかりそうになさそうだ。ましてや、半年居候して住み着いた町で、ほぼ無一文の状態から喫茶店をはじめてる人はどれだけいるだろうか。この人生の変わりなど、誰もいない。ぼくは、僕の人生をどう進めていくのか。僕が決めなければいけない。

喫茶をはじめるというのは、ともすれば、自分の力で仕事をするというのは「事業をしている」という言い換えができる。もっと庶民的な言葉にすると、商売をしてるってことになる。商売をしてる(事業をしてる)と、きっても切れないのが、お金との付き合い方である。ここには、じっくりと時間をかけてやらなきゃいけない。

お金が介在しないようにと工夫してきた喫茶もある。ギフトエコノミー(商品を”自分のために買う”のではなく、”プレゼント”として贈る経済文化圏をめざすもの)を軸にして「前の人に支払ってもらっていますから。」と、当人にはお金を請求しないお店もある。ヴィパッサナー瞑想センターでは、ダーナと呼ばれる寄付金によって成り立っており、生徒(瞑想修行に参加する人)には一切の請求はない。

しかしながら、喫茶にしても修行にしても「誰かが払っている」という事実からは逃れることはできない。つまり、目の前にお金を介していないだけで、その取引において「お金」がなくなっているわけではないのである。お金の価値とは別に、他者貢献とか、誰かにプレゼントを贈るみたいな心のあり様の大切さを考えるのであれば、それはそれは素晴らしい活動だと思う。でも、お金が消えることは決してない。

だとするなら、お金との付き合い方について、ぼくは考えていかなければいけないなあと思った。お金を介さない空間をつくったとしても一時的・限定的なものだし、継続するのも難しい。なぜなら、見えないところでお金は介在しているから。自分がそうした場所をつくるとすれば「僕が」見えないところでお金を介在させなくてはいけなくなる。誰かへのプレゼントはひと月に一度くらいだからできるわけだ。お金を介在させていないように見える形で「モノを贈ること」をプレゼントするーと、人は言っている。ものすごく大事だから繰り返すけど、お金は、目に見えないところで、存在してる。動いてる。介在してる。

その流れを、理解する。理解ができれば、流れに乗ることもできる。反対に、逆の流れには「乗らない」という選択ができるようになる。選択ができるのは、幾つもの選択肢を持つものだけの特権で、選択肢をもつためには、流れを理解すること。理解した流れを掴むための準備を、日頃からしておくこと。

経理のことを学ぶのは、流れを理解することにあたるし、経費計算の帳簿をつけていくことは「日頃の準備」といえる。お金のことを理解していくと、ものすごく生きやすい。

経理の勉強をして、ものすごく視界がひらけた。毎月にかかる支出はいくらか。何のために支払っているのか。その支払ったものは、どのくらいで返ってくるモノなのか。返ってきた者と返ってきたものを差し引くと、手元にはどれくらい残るのか。その中で生活するにはどうすればいいのか。友達とご飯に行くお金を手元に、より多く残すためには、どうしたらいいのか。1つ1つ学んでいくと、人生ってのは、ある一定のルールの中で動いていて、そのルールを理解していれば、何をどう攻略していけばいいのかが、本当にはっきりわかるんだ。

このことは、もっと早くから学んでいてほしいと、小さな大人たちに思う。だから、塾の先生してる友達のぼんちゃんと企画をしようと思ってる。明日会うから、そういう話ができたらいいな。

こんな文章読んでる人おるのかな。
それでは、今日も素敵な1日を。