10,212 STILL ALIVE

お店がお休みの日にだって仕事はある。

書類を整理したり、ものの整理をしたり、手入れをしたり、食材の調達をしたり。でも、そういうことの外側にも仕事がある。

家事は、その最たるもの。

家事は、社会学用語としては「シャドウワーク=影の仕事」といわれたり「アンペイドワーク=無償労働」と言われたりしています。今は、アンペイドワークという方が主流だそうです。(個人的には「シャドウワーク」という言葉のニュアンスが好きなので、こちらを使っています。)

「賃労働をするための基盤として欠かせない労働」のこと。

家事でいえば

洗濯物を干したり
ご飯を作ったり
買い物に出かけたり

もう少し視野を広げると、学生でいえば「将来働くための学び」もその一つとされることもあります。保育施設から大学までずっとシャドウワークしていると、みることもできる。

そういう意味で、お店がお休みの日の今日、仕事をしていた。

台所を片付けて
部屋を片付けて
整理用品を買いに行って
ご飯を食べて
原材料の買い出しにも行って

と、そんな感じの1日を過ごした。

床の広い整った部屋に寝転がってみる。ぐるりと眺めてみると、部屋ごとに目的ができたことがわかる。あそこは洗濯物を干すとこだな、あそこに畳んだものを一旦置いて、もっていくんだな。ここは倉庫的に使おう。普段使いはしないけど、お店の道具のストックとかを置いておこう。寝室は、服を置いたりはするけど、書類は置かないようにしよう。むしろ書類はプリンターの近くに置いておこう。書類を整理するためにファイルは買ってきた。書類棚は友達にもらったし、ばっちり。

そして気づく。

「なんか、気分いいな。」

仕事を「お金がもらえるもの」みたいなニュアンスで受け取っていると、無償の家事労働=アンペイドワーク=支払いのない労働は、やりたくないように思う。だって正直、整理用品を選んだり買ったりするのも大変。どうしてこんなことにこんなにお金が必要なんだ。そんな風に思うこともある。

でも、そもそも家事労働=シャドウワークというのは、賃労働をするための基盤としての労働なわけだから、そういうものなんだよね。むしろ、生活ということそのものを作っていた今日は、幸せだったなあと思った。

まだもうちょっと片付けたいところがあるし、整理したいことがあるから、ここからは日々ちょっとずつ進めていきたい。例えば、布団を一式ずつ圧縮袋に入れたり、倉庫の棚を整理したり、台所の壁に棚をつくったり。

ちょっとはお金はかかるけど、よっぽど棚を買ってくるとかしなければ、さほどお金をかけなくてもできることはある。そして、ものの場所、部屋の目的、自分の生活導線さえ決めることができれば、もう散らかることはない。

散らかることがなくなれば、本を読む時間が作れたり、運動をする場所を手に入れたりできる。すると、本が読めるし、運動をする習慣が作りやすくなる。そうすると、学びある日々を過ごしていけるし、いつまでも健康な体と心でいられる。毎日が楽しくなってくる。

片付けることで、ものが使いやすくなる。すると、もの一つ一つへの愛着が湧いてくる。その度、暮らしがもっと豊かになってゆく。

そんな1日を過ごして、夜。

公式LINE宛てにメッセージ通知があった。

以前お店に来られた方からのメッセージで、ここで直接的な文面を載せはしませんが、

とても素敵な時間を過ごさせてもらえたことの、感謝を伝えたかった。ありがとう。また行きます。

そういったお言葉をいただきました。

幸せだよね。
本当に嬉しいです。

お店が休みでも、仕事はある。

仕事は力学の世界では、エネルギーの話。スピリチュアルの話ではなく、科学的にも「エネルギー」の話。ちなみに、神様が姿を表すことを、影現(ようげん)というんです。神様には後光が差してるというけど、後光による逆光で形どられた影が現れることを、そのように行ったんじゃないかなと思う。つまりね、シャドウワークに向き合うって、とっても大切なことなんじゃないかって思うわけです。

アンペイドワークという資本ベースの話に組み替えるのではなく、光も影ものみこんで、日々を生きていくことが、大切。そこにきっと神様がいる。トイレの神様って、覚えてるかな。あれは、すごいことなんだろうなって思うよ。

陰ながら応援させていただきます。これは、何気ない言葉だけど、本当のことなの。大事なことなの。

よき休みの日でした。たくさん仕事をしました。でも、幸せです。

それではみなさま、今日も素敵な1日をー。