
正確な翻訳アプリも出てきたから「英語って話せなくてもいいよね。」とか、分からなければググればいいし、学校教育の「詰め込み型の学習って意味ないよね。」って、あれ、誤解なんじゃないかな。
と、昨日ふと思いました。
どうしてそう思うのか書いてみます。
理由:人には社会性があるから。
人には、社会性があります。
認められたいとか褒められたいっていう欲求があったり、他者に対して「この人は信じられるのか」と疑ったりする気持ちがあったりします。
道具を使うと、褒められるのは道具。
英語が話せるようになれるなら、話せた方がいいんじゃないかと思います。
翻訳アプリを使いこなせて話せるようになったとしても、褒められるのは道具です。翻訳ツールがいかにすごいかでしか見られることはありません。
小学校の人間関係もそうです。
家のフェラーリを見せびらかしても、たぶんきっと、クラスで一番足が速いやつには敵いません。できるってすごいことだと思います。
※例えば、目が悪い人がめがねをかける時に「メガネってすごいね。」って褒められ続けるわけじゃないことを考えると、翻訳ツールをいかにアグレッシブに使いこなして行くかによって、変わるかもね。
とはいえ、自分で話したほうがスムーズ。
人は、お互いの時間を使って、会話をしています。
翻訳ツールを使って話し続けると、
- 翻訳機に、翻訳したい言葉を伝える時間
- 翻訳する時間
- 翻訳機が、翻訳した言葉を読み上げる時間
- 読み上げた言葉をもう一度、翻訳機に伝える時間
- 翻訳する時間
- また読み上げる時間
これが、永遠にかかります。
たぶん、普通に話した方がスムーズです。
ググるのもいいけど、人の言葉で聞きたい。
ググれば分かることが多いです。
でも、人は人と繋がりたいのです。
ググれば分かることを尋ねたいのです。
知識はググればいいけど、その知識はその人から聞きたいのです。
あの人はキャンプについて詳しいよ!とか、あの人はコーヒーについて詳しいよ!とかって、そうやって人からの信頼を得ることもできます。
でもたぶん、誰よりも知ってるのはグーグルです。
でもやっぱり、人から聞きたいのです。そして人に話したいのです。
結論:勉強しましょう。
英語も、知識も、暗記するのは「無駄」って言われることが多いです。でも、暗闇でも、書き記せるくらい身体に染み込んでいることっていうのは、間違いなく、自分の持ち味になります。
ググるのもいいし、翻訳もいい。決してダメとは言ってません。
ただ、そういう道具の発展が「人の知識を凌駕する」って未来は、たぶんしばらくやってこないと思うので、コツコツ勉強するのがいいんじゃないかと思います。
色々知ってるって、ぼくは素敵なことだなと思います。
とはいえ、AIが搭載されたロボットと会話するとなると、また話が変わってくるかもしれませんね。
ただ、そこまで発展する頃には、相手のデバイスで勝手に翻訳できるようなことになってると思うので、今はコツコツ勉強です。
それでは、今日も素敵な1日を🌿