制限の中で実験をすることで、引き出されるもの。

マオリのカーヴィングという彫刻を見てから「暇をつかって、ものを生み出す」ということにとても高い関心を持つようになりました。これを文化的に、歴史的に理解をするために、勉強するのも意欲があるけれど、今は「手を動かしてみること。」に意識が向く。

かぎ針と麻紐を手に取って編み始めた。ついつい「何を編もうか。」なんて考えてしまいがちだ。そんな例に漏れず「よし、方眼編みをしてみよう。」と決め込んで、調べて、方眼編みをやり始めてみた。やっていく中で、段々と編み方のコツを掴んでいく。そして、思った。

izumikun

おいおい。なんか「意味のあること」しようとしてないか。なんか「実用的なもの」を作ろうとしてないか。

と。

でも、よくよく考えてみるとぼくは「麻紐で編んだ小さなマルシェバック」を使わないし、「ふわふわの毛糸で編んだマフラー」を使うことは、よっぽどないのである。

つまり、目的を作り出すことで、手段を実行させようとしている自分に気づくわけ。

でも、目的なんてないんです。ただ「”編む”ということに、没頭したい。」ということなんですよね。いわゆる「手段が目的化した状態」とも言えるんだけど、似てるようで違う。ぼくの本意は「暇を、享受する。」というところにある。その手段としての「編む」とすると、その説明になるはずだ。

編めればそれでいい。そこに2重で目的を作る必要は、ない。だからとにかく編んだ。「正しい状態」に対して『とにかくデタラメに』編み目をつないでいった。そうしたら、全くもって使い物にもならない、しかも「これは何?」という質問に決して答えることのできない、訳のわからないものが、生まれた。カミさんによれば「起きたら、なんかオブジェができてるわ。」とのこと。

ぼくは訳のわからない「何か」を眺めて思った。

izumikun

そうだ、こういうことなんだ。

と。どうやらぼくは、満ち足りた気持ちのようで、次なる創作への意欲に気づいている。

ウクレレもちょっとやり始めた。

で、基礎練は大事だろうと思って、この動画を参考に続けてみることにした。

簡単な練習だけど、重要。ちょっとのんびりやってみる。

あと、曲の練習もしてみることにした。しかも「原曲コード」で。U-FRETっていう楽譜サイトでは「簡単コード」っていう初心者向けのコードも紹介されてるんだけど、そこから離れることにした。正直「この指の運びしんどくね?」と思ってやめちゃいそうになる楽譜をやってみることにした。

ぼくは今までそれを遠ざけてきた。だって、レベルは低くても「とにかく何か、誰かを納得させる程度に曲として聞こえそうな状態」であれば良いと思ってたから。でもね、そんなことはどうでもいいなあって思って、誰かのためのウクレレじゃない。ただ、暇を享受して、ウクレレを愉しむ。それだけでいいと思えた時「時間がかかることの焦ったさ」は和らいだ。

そして「こんな使い古された曲」と思ってしまいそうになる一曲を選んだ。理由はシンプル。「大事な人ほどすぐそばにいるの。」という決して忘れてはならない価値を、いつも伝えてくれるから。大好きな歌なんだ。

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話変わって、来月の最初の土曜日に「珈琲の出店」をすることになった。昨年からの約束もあって、出店することは決まってたんだけど、いくつか考えなきゃいけないことが出てきた。

運営から「珈琲の飲み比べができないか。」という提案があって、その実現法として、端的に条件を並べると

  • 出店者の手間を増やします。
  • 商品単価を下げてクーポンを発行します。
  • お客さんはクーポンを購入すると3種類のコーヒーが楽しめる。
  • しかし、クーポンは利用されないと「出店者の売上」になりません。
  • 利用されなかったクーポンの売り上げは、運営が引き受ける。

もちろん、いろんな人に知ってもらうことはできます。でも、単価を下げて提供することがイベント参加の条件とあっては、約束している手前、なかなか断ることも難しい。

でね、ここで「じゃあ、断ったらいいじゃん。」という意見もあるでしょう。でも、そうではないのです。そうではなく、この明らかに不利な条件で(しかもこの日はわざわざお店をクローズして出店するので、売上が見込めないと「約束だから。」という理由だけではいく理由にはならないんですね。約束のために死ぬのは、変ですよね。)いかに、生き抜くか。

先方からの提案として「単価を下げることについては、提供する珈琲のサイズでカバーできないか。」というものがあったけれど、小さくすれば良いというわけでもないような気がしました。珈琲の価値を「原材料費」としてみているのは、少しずれているように思うのです。珈琲の価値は、人の手間や時間という含みにあるんじゃないかと考えています。

例えば、500円のコーヒーを300円にして販売してくれ。そういう提案だとすると、300円で提供するわけだから、サイズを小さくして提供すれば良いのではないか。でもね、その提供にかかる手間は、ほとんど同じなんですね。そして、ただ、500円が300円になったわけじゃなくてね、その日1日を売上ベースで考えたときに、それが「疲労感」「報酬」「充足度」に見合うかだし、それを作り出すことができたかが重要なんです。それが、生活に直結するわけですから。しかも、総売上に「出店料」かかってきますからね。

小さな話のようですが、こちとら小商ですから。小さな人の小さきことは、それなりに大きなことなんですね。

でね、ここで問いがあるんだけど

izumikun

単価を下げられた状態で、いかに「天秤のとれた提供スタイル」が実現できるか。

ということですよね。

そこでつらつら考えてみた。

izumikun

そっか。飲み比べ=お試し。だとしたら、本番である必要はないよな。だって、その分のコストもベネフィットも誰も担保できてないわけだし。「急須で淹れる、手で入れる、手間をかける。」この満足パックで提供する必要はないってことだよな。かといって、運営とお客さんの間ですべてのコストを引き受ける義務はないわけだ。

そうかあ。ってことは「ハンドドリップ」を止めればいいのか。

というわけで、いろんな制限を鑑みて「ハンドドリップを止める」という選択をしてみることにしました。そして、代替案として生まれたのが『ドリップパックを販売する』というスタイル(これは、あくまでMEM.として試してやってみようーってわけで、イベント全体の話じゃないので、ご注意)

お客さんからクーポンをいただいて、ドリップパックとカップをお渡しする。その場にお湯を用意しておいて、お客さんで自分で注いでもらう。自分で時間をみて、ドリップパックを捨てられるようにゴミ箱も設置しておく。欲しい人用に、ホワイトとシロップも用意しておきましょう。もし「買って帰りたいな。」という人がいれば、1パック250円(+税、未定)で購入もできるようにして、5パック1,100円(内税、未定)みたいなセットもあり。

多分ね、批判あると思います。

でも、無理してやるものじゃないですからね。このまま無理してやってみて、無理しに行っているのをわかっていながら「やっぱりあいつのせいで。」とは思いたくもないし、そういうしこりは残したくない。ただ、気持ち良い形で実現させたい。そのための手段。それが「ドリップパックを販売する」ってことでした。

ドリップパック開発はこれからなんで、間に合うように作ってみようと思います○ま、その場で飲まないっていうなら、ドリップパック持って帰ってもらってもいいですからね。

まあ、そんなわけで「制限の中で実験してみる」というわけですね。

ではでは今日も素敵な1日を🌿