もう少しでやっとスタートラインに立てる。

27歳。

人生はどうやら長くて、世界全部が「おわりだよー」って顔をしてる夜を迎えて眠りにつけば、世界全部が「今日もよろしくね〜」って顔して私を包む。人生は長い。1つ1つを見つけすぎると、途方もなく、長い長い旅路を歩いているように感じる。

人が今日1日を生きるのに、少しの食糧と、町の暮らしを作るなんてことないありふれた(それでいて尊い)仕事が一つあれば、それで十分に幸せを感じられる。でも、この世界は、どうやら広いらしいということも、気づいてる。

世界全部が「おわりだよー」って顔してる夜を迎えて眠りにつくころ、この世界のどこかでは、「今日もよろしくね〜」って顔する朝を迎える人たちが活動を始めてて、彼らが眠りにつくころには、私は次の朝を迎える。

そして、私がしている、ありふれた尊いことが、他のどんな世界にも「似たようなもの」があると知る。それには「種類」があり、そこに対する人々の反応にも「種類」があることを知る。喜んでくれるのか、悲しんでいるのか、つまらないと思うのか。どうせなら、喜んでもらいたいと思うが、どうやら最近は、みんなの反応が気持ち良いものではなさそうだ。噂によると、小さなデバイスを使えば「世界のどこかにある、面白いもの」が、世界で起きているその瞬間の映像を見ることができるらしい。しかもそれは、多くの人の暮らしのほとんどの家計で管理することができるくらい安価に手に入るもので、ぼくも買いに行くことにした。

実際に使ってみると、本当に世界の出来事が、まるで手元で起こっているかのように感じることができた。ぼくがやっている商いに似たものが、世界にあることも知れた。しかも、多くの人が喜んでいるものが何かが見えるようになった。お客さんも同じものを見ているのだから、きっとこのやり方を期待しているかも知れない。よーしやってみよう。お客さんの反応がグッと良くなってみんなが喜んで、ぼくの仕事をよく思ってくれるようになった。

ある日、一人のお客さんが顔をしかめてこう尋ねてきた。「あんさん、まだそんなことやってるのかい?最近ではこれが流行りなんだよ。」そういえば、最近は商いに夢中で小さなデバイスを見る暇もなかったのだ。久しぶりに開けてみると、名店シェフがレシピを公開するようになったり、個人で活動する人が増えていたり、また新しい提供の仕方があることがわかった。そうか、今はこれがみんなが欲しているものなのか。そう思って、どう変えていこうかお店を眺めてみた。すっかり廃れているように見えた。すっかり廃れているように見えたお店を変えようと、いろんなものを仕入れに行ってみると、お会計は「自分でやってね。」という方法に変わっていた。売上の計算を現金でしている自分に、なんともいえない気持ちになった。

お会計を済ませてお店をなおしていると、なおっていないところとの違いに不満を感じるようになった。あそこも変えたいし、あの場所は古すぎる。そうこうしているうちにまた、あの人が現れた。「あんさん、まだそんなことやってるのかい。」と、小さなデバイスを通して、世界のあれこれを見せてくれた。そこに広がっているのは、ぼくが使っている小さなデバイスには出てこないような世界のことばかりが出てきた。同じ小さなデバイスなのに、不思議だと思ったが、その人はもうすっかりいい気になって、帰ってしまった。

ぼくが使っている小さなデバイスで得ている情報が、他に小さなデバイスを持っている人よりも古いかも知れないということを知った。新しい情報を知ることが大事だが、新しい情報を知るにも「方法」があるんじゃないかと思った。手付かずのお店を見て、少し、ぼうっとした。そのあと、少し眠ることにした。疲れていた。

また、朝が私を包んだ。新しいはずの朝に、変わらないお店が私の目に飛び込んできた。いつまでもやっているわけには行かないと、大変革をしようと思った。でも、もはや、そんなことをすれば、家賃を支払うことができなくなることが目に見えていた。小さなデバイスで見た記事には「今月から収入がなくなって、税金や年金を支払いながら生活したら、何ヶ月持つか。」という質問に対する答えのほとんどが、1年も持たないということが書かれていた。私もその一人だということに、うなだれた。

私は一体、なんのためにここに生きているのか。私の暮らしは、どこまで続いていくのか。小さなデバイスは、カラオケをしている私の隣に、プロ歌手を置くような世界にした。商いをしている私の隣で、私と同じ商品を売るような世界にした。私が得意げに話をしている隣で、私が得意にしてることのもっとレベルの高いことをお話しするような世界になった。ここにいる私が、より小さく思える世界になった。

隣の芝が青く見える。世界が隣に時代では、世界全体が青く、美しく見える一方で、自分の位置が見えなくなることが多くなった。私は何をしたいのかを問われるようになった。一転、それを考えることで、この世界をひっくり返して自分が青く美しくなることもできる可能性あふれる世界でもある。なぜなら、プロが隣にいるのなら、プロから学ぶことだってできるから。

ものが悪いんじゃない。それを使う人が悪いんじゃない。その人の目指すところがあるのなら、たどり着くために必要なものを、適切な方法で使う。小さなデバイスは、多くのことを教えてくれるようになった。そして、多くの人の暮らしの理想を高めた。美しい世界が小さなデバイスの中にある。でも、本当はどうかは分からない。だから、みじかにある「本当」を見にいくと、こんなもんか。と思うことも増えた。実際にやったことも、試したこともないことが「2度目」と思えるようになったこともある。

ぼくたちは、一体、どこを歩いているんだろう。ぼくたちは一体、どこへ向かっているんだろう。そして、ぼくは今、何をするだろう。

27歳。

人生は長い。世界のあらゆる答えがデバイスの中にあるように思える時代を生きていて、遠くに行くことなく世界を楽しむことができる。デバイスの中に、空間を作り出す人も出てきた。いつか、時計じかけの摩天楼のような世界になるかも知れない。でも、

世界のあらゆる答えを、自分のものにできるかは別の話だ。

ぼくは今喫茶店をしていて、昨年のニート時代から比べれば、収入の前年比はものすごい数字になる。でも、実際に手元に残るお金は、多くの人が思っているほどじゃない。高校生ががっつりバイトした方がよっぽど収入(手元に残るお金)がある、そんな月だってある。そのお金をいかに手元に残しつつ、生活もよりよくしていくか。この生活を続けられるようにしていくか。このことを考えることは、お客さんのために考えることとは全然違う学びが必要になる。ここがないと、新しいことを追っていても、地盤がぐらぐらなマンションと同じように、何かあれば倒壊することは避けられない。

個人事業主の経理をしていると、事業主貸だとか、事業主借だとかという仕訳の課目がある。これをきっちりしていないと、事業のために使っているお金をプライベートで使ってしまっていたり、プライベートのお金を事業のお金としてしまったりする。これは困るので、ちゃんと、仕分けをしていく。

事業をするというのは、こういうことをよく考えておくこととは知っていたけれど、実際のところ事業開始から数ヶ月、できていなかった。この作業がもう少しで終わる。何度もやって、何度もやり直した。そしてやっと、ゴールが見えてきた。覚えの悪いぼくは、かれこれ2ヶ月くらいはずっと経理のことをやってる。マインドマップを使って整理をしたりして、やっと物事の全体が見えてきた。やっと「これなら確定申告できそうだ」と思えるようにもなってきた。

そしてあと少し、返さなければいけないものがある。これはできれば、月賦にして返していきたい。そして、少し余裕のある分で貯蓄をしたり、控除の効く積み立てをしたり、控除内で投資をしたりしておきたい。ぼくはまだ収入がなくなっても1年生きられるような家計を作れてない。来年は、そういう自分を完成させる。そうしたら次は、生活をより良くしつつ、資産をふやす。たぶん、そうすると40歳こえるくらいでちょっと楽になってくる(地盤が固まってるという意味で、働かなくてもいいって意味じゃない)はずだから。もし、月賦が難しいようだったら、今年中に返し切る。

もう少しでレジも導入できそうだ。
経理のことがしっかりできて、返すものも返し切れば、やっとスタートライン。

人生は長い。デバイスの中にある短い動画のように、早くは終わらない。何度もリピートされる終わらない短い動画を、長く見ている時間など、ぼくらにはないのだ。人生は長い。だからこそ、その長い道をゆくために、どう生きていくべきか考えて、実行していかなきゃいけない。なんとなく知っているように思える世界のことを、より細かく見て、手を動かしていくことで、世界を行くことができる。まずは知ること。知ったことを、手を動かして実感してみること。実感と知識は全然違う。これを知恵という。この知恵を使ってこそ、人生は開いていける。

経理のことが少し分かってきた。ここが基盤。
あとは、自分がどう作っていくか。

カミさんと楽しい人生を歩いていく。
美味しいご飯も食べたいし、世界を見て周りたい。

そのために、どうお金を考えるか。その技術が、経理。
小さなデバイスは、時代の流れを読んだり基盤の強化のために使おう。
決して踊らされてはいけないよ。

もう少しでスタートラインだ。
それでは今日も、素敵な1日を🌿