10,234 STILL ALIVE

住所がある、ということ。

7時くらいに起きて、部屋の片付けを再開。使う当てのない小物、使う当てのない食器、使うあてのない座椅子、使うあてのない何かが、そこかしこにある。

床に落ちてるものたちを一つずつ手に取って「宛名のない住所欄」をみて、手に迷いが生まれるのを感じる。

必要なものでもないけれど、捨てられもしないものに囲まれて生きてるんだなと思う。(ちょっと寂しい響きに感じるかな、そういうわけじゃあないよ。)その反面、「行き場がない」から「必要性を感じられずにいるだけ」なのかな、とも思う。

本当に必要かどうかは「住所があるかどうか」によるーっていうか。ちゃんと「君の居場所はここだよ。」と思えるかどうか。そう思ってもらえるものであるかどうか。

なんか、そういうのってすごく大事なことなんだろうなあ。

藍のお仕事 3回目

今日は、バッセン。バッティングセンターではなく、抜染(ばっせん)。藍染したものから「色を抜く(=白抜きする)」という工程。専用の糊と色を抜く材料をシルクスクリーンで、作品にうつす。そうすると、糊がのったところだけ、色が抜けるというわけ。

抜染したものを見たことはあったけれど、抜染の工程に携わったり工程を目にしたことは、はじめて。藍のお仕事は、染めのお仕事だけど、反対に「色を抜く」ってことがあったり「色を入れない工夫」をしたりもする。どう染色するかーに、幾つもの選択肢がある。

でも今日も思ったけれど、その一つ一つに「一つの職業があってもいい」程なんだよな。

  • 抜染&防染 専門
  • アイロンがけ 専門

例えば「知多木綿kitchens」さんは、知多印刷という会社のいち事業として「知多木綿をつかったキッチングッズ専門ブランド」を立ち上げてる。

「木綿を作っている」わけでもなく「キッチングッズを作っている会社」でもない。が、プリンティング=デザイン=印刷技術があることで、その二つをかけあわせて、一つの世界観を作り出している。

僕たちはそうやって、自分の世界を拡張したり、分化させたりして、共生してるー。共に暮らし、生きている。

抜染の作業が終わってから、手拭い20本の下染をした。もくもくと、もくもくと。一つずつ丁寧に。思ったより時間がかかったかもしれないけれど、確かに染めた。その瞬間「だけ」、藍染師になった。

それから藍畑へ藍の刈り取りをしに行った。その瞬間「だけ」、藍農家になった(刈っただけだけど)。そうやって、変幻自在に色を変えて、ヤマトナデシコ七変化ばりにジョブチェンジを繰り返す。

仕事の手が離せない時は、まーちゃんと遊んだりもする。その一瞬「だけ」は、ベビーシッターになった?

もう一つ、専門で考えてることがある。面白い話だから、ちょっとずつ進めていきます。

友達として。

子どもがいて、仕事があって、家庭がある。かならず「ご飯の時間」があって「洗濯物をする時間」があって「片付けをする時間」がある。「おっぱいの時間」もあって「横になりたくてテレビを見る時間」もある。どれもこれも、必要な時間。

できないことがいっぱいある。できなくて良いこともいっぱいある。それでも「これ、代わりにやってくれる人がいたら助かるな。」とちょっとだけ思っちゃうことを「やっとこうか。」と手を動かしてみる。

それが「おせっかい」になる場合もある。まあ、それはしょうがない。おせっかいになったなら「お節介にならない程度の塩梅」を探すだけ。心の向きさえ間違えなければ、友達としてできることはいっぱいある。

明日、ワークショップがあるからね、僕も珈琲の取材が終わったら、顔出すね。

そういうわけで、今日も素敵な1日をー。
今日は、久々に洗濯物も干せて嬉しかったな。

ありがとうね。

この記事を書いた人