10,238 STILL ALIVE

今日は歌った。久しぶりで、楽しかったな。

(歌を聴きながら、読めるよ。)

車に手間暇かけることについて

夜に、大家さんの会食の送迎係をすることになった。車の運転と、会食の参加。これがぼくの役目。そういうわけで、車をちょっぴり掃除した。物凄いエアーを放つコンプレッサーを使って、車内にエアーをしてみると、案外「ほこり」とか「すな」が溜まってることがわかった。物凄い飛んだ。びっくりした。

よくよく思い返すと隅っこにゴミが溜まってるなあとは思って見過ごしていたところもある。だからこそ、エアーで飛んでいくゴミたちをみると、気持ちがよかった(もちろん回収もした)。

ついでに家族の車のエアーも母と一緒にやったり、ぼくはぼくで網戸の取り付けを終わらせたりした。国道には車がビュンビュン行き交うんだけど、その真横でぼくは網戸を取り付けたり、掃除をしたりした。

小学生の頃、ご近所さんが車を洗っていたり、車に銀色のカバーを付けていたりするのをみた時「お金持ちなんだなー」って思ってた。自分の家族が車に対して時間をかけてる姿を見たことがなかった。大抵の場合は、年末年始に掃除をするという、大イベント的な感じでやっていたから。

でもね、そういうことじゃあないのね。大事にするってことなんだね。時間を生きるってことなんだね。ちょっと掃除することとかちょっと片付けることは、全然お金かからない。網戸を自分で張ってみるのも、1,500円もあれば十分できる。水を弾くガラスコートも700円くらいあれば、できる。つまり、そんなにお金はかからないけど、十分に豊な時間をつくれる。

ここで反論。いやいや、網戸なんて「セット売り」を買ったらいいじゃん。その方が早いじゃん。そういう見方もある。でもね、自分の手で作るってこと「そのもの」に、豊さを感じているとしたら、そんなナンセンスな反論はない。コスパもタイパもいらないんだよ。時間がかかっても、いいの。

車に手間暇かけることって、結構大事。だって、よくよく考えてみて。むっちゃんこ人生のスピードを上げてくれてるんだからね。むっちゃ大事なパートナーなんだからね。

家に帰ったら一人だった

母との車の清掃が終わって、常滑へ戻ろうと思ったら、いっぱい食料を分けてくれた。ありがたい。これで今週も生きていけるぞお!嬉しい!

とても一人では食べきれないほどの食料を携えて、家に戻ると、一人だった。

急にむっちゃ寂しかった。アリーに会えるのは後2週間後。車が車中泊仕様になっていくについてれ、会える日が近づいていることも実感する。あとはカーテンをどうするかー。

楽しみだなあ。

大家さんの会食の送迎係をしました

大家さんが旧友おふたりと会食をするというので、送迎係に任命いただきました。送り迎えと、会食の参加が条件。事前にお話を伺うと「大家さんにとっては、とてもお世話になっているかた」ということだったので「さて、どういう感じで一緒に過ごそうか」と頭をよぎった。めずらしく履き物も気にした。いつもはビーチサンダルだけど、友達とのご縁だと思ってお金事情を完全無視してだいぶ無理してオーダーした革のサンダルで行こうと思った。そう思って、玄関まで出て鍵を閉めようとしたその時。

「やっぱ、いつも通りいこ」

と思って、ビーサンに変えた。

取り繕ったってしょうがない。大家さんと会う時は大抵はビーチサンダル。そんなぼくをみて「送迎&会食参加」をお願いしてくれた。ならば。そういうぼくでなければ「会わせたい」とは思えない。そういうぼくでだったからこそ「会わせたい」と思ってくれたわけだ。

だから「そのまんま」で参加した。

そしたら

  • 君はきっと成功するよ。
  • 不思議な、変わりもんだねえ。
  • 全然プレッシャー感じてないでしょ。
  • いいねえ。

と、評判良しでした。

個人的には、特許のことにすっごく詳しい大学の先生と、組合でずっと頑張ってこられた方とのご縁というか、お話を伺って、ものすごく学びがありましたよ。

28歳という時間よりもっと長い。68歳とか79歳とか、そういう時間を生きてきた人のお話。

ぼくは気づいているものが人よりも多い気もする。でも、気づいたことが28歳であるものと、79歳での気づきでは「仮に、同じ言葉だとしても、違うのだ」と思ってる。

吹奏楽部にいた時、楽譜を見ていつも不思議だった。

「レのフラット」と「ドのシャープ」は同じなのに、別の表現をするんだろうか。

と。

その意味みたいなものがすこしわかる気がする。同じに見えて、同じじゃないんだ。そういうことなんだよね。

そういうわけで、今日も素敵な1日を○

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